1.点 鐘 副会長 加藤 庄司
2.ソング 奉仕の理想
3.お客様 本日はありません
4.会長挨拶 副会長 加藤 庄司
「一日会長御挨拶」
皆様こんにちわ。今日は、一日会長を務めさせて頂きます。早いもので川島年度も残すところ一ヶ月ちょっとになってしまいました。私のような者に会長が務まるのか
心配では御座いますが、一生懸命、務めさせて頂きますので、なにとぞ諸先輩方の御指導・御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
本日の一輪挿し「読み人知らず」花の時期の過渡期でしょうか。なかなかいいのがありません。次回を乞うご期待!

5.幹事報告 幹事〜津留 起夫
(1)
例会変更
千葉東RC
 日時 6月2日(月)休会
 理由 定款により
 日時 6月9日を6月10日(火)に変更
 場所 幕張プリンスホテル
 理由 千葉幕張RC合同例会
千葉若潮RC
 日時 6月19日(木) 19:00〜
 場所 「花長」本店
 内容 「会長幹事慰労会」

6.卓話〜「入会の感想と大東亜戦争」

私は、1982年4月に入会以来21年になりました。入会の経緯は、川崎から市原に来て4年目位の時、今は亡き田久保会長と、ひまわり会のゴルフコンペで知り合い入会しました。

当時の認識では、町の有力者が食事をとりながら、和やかな雰囲気で会が行われると思い、出席したところ点鐘に始まり、ソング、会長挨拶と会議が粛々と進行されました。当時の会長は亡き麻薙さん、幹事は上条さんでした。帰途、田久保さんに、私のような身分では無理だと言ったら、皆んな仲間だよ気にすることはない、例会や行事に参加していれば早く仲間になると励まされ、欠かさず参加した。特に、ゴルフ愛好会では親近感を持ちました。私には入会して間もないころ、2つの感動がありました。
1つは、例会で募金をお願いし、多額の浄財を項きました。 私は、先の大東亜戦争でパプアニューギニアのラバウル方面に参戦し、多くの戦友が戦死や戦病死 で埋葬されています。1982年9月に慰霊巡拝に行った所、山本五十六長官の戦死地ブインで慰霊祭を行い、帰途、隣接する部落のスクールに立ち寄った所、質素な教室と教材で勉強していました。先生からの説明では、日本の山本の名を残すためヤマモトスクールと名付けている、出来れば教材も不足しているので
ご寄付を頂ければと依頼され、同行者と相談し現地の人たちに報いたい、帰郷したらそれぞれ募金しようということがあったので、例会で慰霊巡拝の報告とご寄付の事を話した所、早速全員に賛同を頂き12万円ほど当時の幹事大野さんに送金してもらい、現地から大変感謝されました。
2つ目は、当クラブの創立20周年記念大会が出光会館で開催された折、姉妹クラブのマレーシア・ペタリングジャヤR.Cから大勢の会員とご婦人が参加頂いた時です。私は戦争経験があり、外人が嫌いで接触を避けて来ましたが、この時の交流で皆さんは同じ民族の如く懇親を深め、国際奉仕・社会奉仕活動に取組まれている事に感動しました。
以来今日まで21年間ロータリアンのお陰で多くの出会いがあり、豊かな人生であった事を痛感しています。これからも皆さんと共にロータリーを楽しみたいと思っています。
2.私の職業
私の職業ですが、昭和46年に23年勤めた会社を辞めたのは、公害が社会問題になり議会や行政で取り上げられ、大気汚染や水質汚染の排出規制が本格化した頃でした。
汚染度の常時監視測定装置が開発され、企業の排出ガス測定や行政の監視装置の設置が行われた。
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