作家 竹田真砂子さんの卓話
東京都神楽坂出身の作家。時代小説を得意とする。法政大学文学部教育学科卒。1982『十六夜に』でオール読物新人賞受賞、2003年『白春』で第九回中山義秀文学賞を受賞した。また、邦楽を軸にした舞台作品も多く、国立劇場、新橋演舞場、紀尾井ホールなどで上演されている。舞踊詞として作られた「蛍」はその後コンサートホールなどで演奏され、CD「今藤政太郎作品集1」に収録されている。
本日は卓話にお招きいただきまして、うれしく参上いたしました。
私は最近でこそ舞台の台本なども書くようになりましたが、主に時代小説を書いております。時代小説と申しますのは、実際に現場に立ち会うことはもちろん出来ませんので、頼りは資料でございます。資料さえあれば、机の上だけで作業できる、しかも、絵描きさんと違っていろいろな道具を揃える必要もなく、文章書きは紙と鉛筆さえあれば仕事になるので、まあ、資本のいらない、安上がりな商売と思ったわけでございます。
ところが、実際にやってみますと、資料だけでは書けませんで、やはり舞台になっている土地に実際に立ってみる必要がございました。近年は地方もどんどん変貌しておりまして、平地はまず住宅で埋められておりますし、川の流れ方が違っていたあり、見えるはずの山が見えなかったりいたします。それでも、現地に立つことは必要なのですね。 たとえば、ある季節のある時間、この場所に立づたとき、'日'はどちら側からさしているか、とか、風はどちらから吹いてくるか、ここに来るまでに、どんな道を通ってくるか、といったようなことを知りませんと、そのひとの気持ちの中に入ってゆくことが出来ませんし、それを感じることでイメージも湧いてまいります。それと資料というものも意外に厄介なものでして、自分が必要としているものにめぐり合うまで、ずいぶん時問がかかりました。なんとか思う資料をすぐに見つけられるようになったのは。ここ10年くらいでしょうね。
資料探しに国会図書館なども利用しました。やっと見つけた古文書 書体が難しくてなかなか読めません。専門家はじっと見ていると判るといわれますがどうでしょうか。
小説と申しますのは、人の魂を手づかみにすることでございます。神をも恐れぬ業だと存じますので、いい死に方はしないななどとお仲問とよく話します。だからという訳ではありませんが、モデルになってくれた人物のお墓参り、これも小説を書く上で必要な準備です。「あなたのことを書かせていただきます』というご挨拶ですね。
だからどうということはないのでしょうけれど、私自身の安心につながります。お墓は、江戸時代のものは割合すぐにわかるのですが、それでも当時は土葬ですから、死んだところで埋葬されるので、夫婦であっても違う上地に葬られていることが多いのです。
戦国時代となりますと、特に女性のお墓は探すのに苦労いたします。
戦国武将の奥さんとか娘でも、親や夫が敗北したあとは、息を潜めて暮らします。信長の娘の徳姫でさえ、(家康の息子と結婚して死に別れ〉親元に戻った後、父も憤死。最終的に娘の嫁ぎ先に引き取られて、そこでひっそりと亡くなりました。
木曾家最後の夫人も、木曾が滅んでから百姓になった孫の元で亡くなりました。
この人のお墓を探すときは、大変でした。地方は交通機関がなく移動には自動車を頼らなければなりません。タクシーでぐるぐる探して、この時は運転手さんがいい人でしたので、何とか探し出すことが出来ました。でも、土地の方に注意されたのは、うっかりするとメーター稼ぎされるから気を付けなさいと。確かに、それらしいことも何度か経験いたしました。でもタクシーがあればいいのですけれど、それもないことがございまして。甲府の近くの新府城へ行ったときのことです。タクシーがないどころか、降りた駅は無人駅。周りは桃畑。人っ子一人いない。1時間くらい歩いてやっと城量へたどり着き、帰りは折りよく来合わせた巡回中の市役所の車に乗せてもらったこともございます。
その後は地方を訪ねるときは市役所に連絡してから行くようにしました。広報とか
教育委員会が窓口になってくれます。もうひとつ困るのが宿。最近はそんなことはなくなりましたが、15,6年前までは、女の一人旅は嫌がられたのです。なぜかというと自殺の恐れがあるからなのだそうで。これも市役所から旅館を紹介してもらうことで乗り越えましたが、最近はそんな心配はいらなくなりました。それどころか、時々、どうしたの、というほど大事にされることがございます。これは、テレビの旅番組の影響で、特に、一時、覆面リポートのようなことがはやったそうで、そのお蔭で、覆面リポーターに問違われたのですね。世の中、変わったものだなあとつくづく思います。
変わったものと申しますと、パソコンの普及についても、私のようなまったく機械とは無縁であった人間まで使っているのですから、私自身信じられません。
いま、私は、PCなしでは一日も生活出来ませんね。原稿も書いておりますし、地図や、交通機関の時刻表を見たり、百科事典程度のことならたいていPCで調べられます。すぐアクセスも出来ますしね。お城なども立体的に復元したCGが出てきたりして、調査の端緒の役に立っております。なにより便利なのはメールでございます。最近、ちょっとフランスやルクセンブルグと情報のやり取りをする必要に迫られておりまして、ほとんど毎日メールを多用しております。これが電話でしたら、大変な料金になるでしょうが、メールは国内も外国も同じ料金で即座に届きます。添付で資料を送ることも出来ますので、手問も時間も料金も大助かりでございます。
実は私、ちょっと夢を見てしまいまして、フランスで、フランス語で、フランス人の俳優で自分の書いた脚本を上演したい、なんて。3、4年前でしたか、「春琴抄」を邦楽劇として上演いたしましたところおかげさまで好評で、翌年、再演されました。それを、フランス語にしたかったのです。谷崎の耽美な世界をフランス人なら理解してくれるのではないか。数名の友人に話しましたところ、面白がってくれまして、すぐ翻訳にかかってくれました。
翻訳、演出、事務局(制作〉と私、4人で春琴抄上演実行グループを設立いたしました。アンリ企画と申します。名前の由来は簡単で、犬の名前でございます。先日、演出家がパリに行って、パリ在住の翻訳家と一緒に詳細を決めてまいりました。ユシェット座(Theatre
de la Huchette)という小さいけれど、高い評価を得ている劇場で、とりあえず来年の10月1日から13日まで12回公演いたします。
俳優はフランス人ですが、邦楽劇と銘打つ以上、音楽は日本人です。外国語に邦楽を合わせる、これは初めての試みです。邦楽は単独では外国で演奏されておりますけれど、外国語と邦楽がコラボレーションしたことはありません。邦楽は外国語に乗らない、というのが、まあ、先人の考えですし、現在もその考えは踏襲されております。
コラボレーションすることで外国の人に、もっと身近に邦楽を感じてもらいたい、それと、文化の面から日本を理解をしてほしい、という志だけは高く持ちました。日本は経済だけではない、というところを知ってもらいたかったのです。
自分の作品がパリで上演されるなんて、想像もしてなかった、といいたいところですが、想像したのですね、想像が形になって現れそうになっているのです。
PCがなければ、こんなにとんとんと話は展開していかなかったでしょう。
「青年よ大志を抱け、老人はパソコンを抱け」最近、私が多用する格言でございます。
確かに子どもはPC操作を簡単に行います。子どもの頭はデジタルですから、当然、デジタルが会得しやすく出来ています。大人の頭はアナログの知識で埋まっています。人間が人間社会で快く生きてゆくためには、アナログの知識が必要なのです。デジタルをアナログにすることで人は人間になるのです。もちろん時にはデジタルも必要ですが、使わないでいると錆付きます。その錆落としにPCがいいのです。そして、PCはアナログ知識があればあるほど楽しく愉快な経過をもたらしてくれます。自分の知識を再確認したり、世界を広げたり出来ます。
子どもはそうはいきません。もともとのデジタルがそれだけで固まってしまう。アナログの入る余地がなくなってしまいます。
想像力の欠片もない子どもが育っています。最近の残酷な事件。想像力が欠片ほどでもあったら絶対にここまで残酷な殺し方は出来ないだろう思える事件ばかりです。しかも、対象が手近な人ばかり。相手の目を見て話す習慣がなくなっているのですね。コミュニケーションは携帯メールですから。目の前にいる人に反対意見を言われると、それに対処する方法は抹殺しかないのです。ゲームはそれでいいのですから。ですから私は小さいうちからPCに馴れさせるのは反対です。PCは大人、とくに分別もあり、長年培ってきた知識があり、想像力を働かせることの出来る中高年が使えばいいと思っております。取り留めのない話で恐縮でございます。
最後に秋吉敏子さん(76)がアメリカのジャズマスターズ賞を受賞なさいました。米ジャズ界最高の栄誉だそうです。彼女の作曲は想像力の賜物ですし、聞くものの想像力も掻き立ててくれます。とてもうれしい情報でした。
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