●市原中央高校 平川凌兵さん
[ Wed/08/16 ]
成田からクアラルンプール国際空港まで6時間30分。
空港についてペタリングジャヤロータリークラブメンバーとお世話になるホストファミリー、AYLongさんたちが迎えてくれました。車に乗り途中飲食店に寄り、「マレーシア版テリヤキ」を食べました。思えばコレがマレーシアでの初めての食事。甘い焼き鳥にさらに甘いピーナッツバターをつけて食べます。夜は奥さんのAliciaさんがダンスをしていました。ダンスの先生をしているAliciaさん。この日は家の近くの公園でレッスン。僕も参加しましたが難しいです。
[ Thurs/08/17 ]
この日はマラッカ観光です。古い建物や戦車など歴史的に興味深いものがたくさんありました。元教会だった建物の壁は海から持ってきた石で作られています。
また教会の近くには大砲がたくさんありました。教会の他にも民家など土壁みたいな建物が残っていました。
[ Fri/08/18 ]
学校訪問で朝礼がありました。その後授業に参加しました。授業は日本よりも短く、休み時間はありません。授業はすべて英語で行われていましたが中国語の授業もありました。マレーシアでは中高の区別がなく、あわせて5年間勉強するそうで、日本より1年短いです。学校内には食堂も合ってたくさんの人が昼休みに集まっています。この学校には3000人の生徒が通っています。
[ Sat/08/19 ]
午後はSunway Lagoon に行きました。そこはプールと遊園地が合体したテーマパークです。ロールコースターや流れるプール、サーフィン用プール、ウエーブプールがあり、人口の砂浜や近くにはホテルが林立しています。ここでは日本の高校生に会いました。
午前中はさまざまな国の学生たちが集まるセミナーに参加しました。学校の食堂でインドの人と話しました。とにかくたくさんの人に話しかけられて感動です。
[ Sun/08/20 ]
マレーシアではすずの生産が盛んです。ここSelangor Pewterではすずを使った合金で製品を作っています。工場見学の最後には自分たちで皿を作りました。
[ Mon/08/21 ]
ペタリングジャヤ市の市長さんを訪問して、市原市について紹介しました。市長さんは変わったばかりで、マレーシア人です。午後は買い物で、1Uという大きなショッピングモールに行きました。
[ Tues/08/22 ]
午後からPJRCのミーティングがありました。その中ではロータリークラブの今までの活動報告やもちろん僕たち4人は演説を行いました。スポーツや歴史、経済など日本についてのことを英語でスピーチ。発音が難しく、スムーズに読めませんでした。その後インドのチャリティショップに行きました。ここの売り上げはインドの貧しい人に寄付されます。
[ Wed/08/23 ]
水族館やツインタワーを見ました。昼間のツインタワーはもやがかかっていてかすんで見えました。このもやはインドネシアから運ばれてくるスモークが原因です。この日は市内観光で、最後にセントラルマーケットで買い物です。
夜のツインタワーの方がきれいです。
[ Thurs/08/24 ]
帰国の前日はマレーシアの文化を学びました。民族衣装や生活様式など、実際の家にみたてて展示してありました。4つのエリアに分かれていましたが2つは工事中でした。しかしとても勉強になりました。マレーシアだけでなくチャイナタウンも再現されていて多民族文化であることが分かります。建物はとんがった屋根をしていてこれを「ミナンカバウ」といいます。博物館の外にも人力車やミニバスなどの車両が展示されています。上の写真は消防車です。
[ Fry/08/25 ]
いよいよ帰国の日です。空港ではホストファミリーのみなさんがいつまでも手を振って見送ってくれました。とても感激しました。また来たいと思います。
[ まとめ ]
まず驚いたのが老若男女関係なくマレーシアの人はダンスが好きです。19日の誕生日パーティではLongさんが「1番ダンス」をしていました。Yangさんもダンスが好きです。また「よく食べ、よく寝ない」生活に慣れるのには無理でした。料理は「スチームボート」と呼ばれる鍋料理が最高においしかったです。日本と同じで魚介類や野菜をたくさん入れて食べます。マレーシアではインド料理も食べます。カレーやチキンはとても辛くて舌がしびれたこともありました。10月31日はマレーシアの建国記念日です。国旗も街のいたるところに飾ってあって日本以上に国を大切にしています。
この旅ではショッピングに行くことが多かったのですが、物価がかなり安いです。マレーシアのお金をリンギットといって1リンギット32円くらいです。腕時計は400円くらい、靴は1足1000円くらいです。硬貨には国の花、ハイビスカスがデザインされています。雨季と乾季があります。
家族紹介
AYongさん・・・建設関係の会社の取締役。
Aliciaさん・・・奥さん。ダンススクールの先生であり、インドネシア人は好かない。
Chit Weiさん・・・長女。食品関係の研究をしている。オーストラリアの大学に留学中(休暇中)。
Chit Yangさん・・・長男。同じく食品関係の研究をしている19歳大学生。
Chit Yuanさん・・・次男。16歳で数学が苦手らしい。
●市原中央高校 古市昂輝さん
こんにちは。とても素晴らしい時間をいただき、ありがとうございました。出発前は、「地震や鳥インフルエンザは大丈夫かな?」と正直思っていましたが、無事日本に帰って来る事が出来ました。マレーシアでは愉快で優しいホストファミリーの方や、ぺタリングジャヤロータリークラブの会員の方々に支えられながら、日本では出来ない様な貴重な体験を色々してきました。
空港に着いた時には日本人は居らず、マレーシア国旗が幾つも見え、いかにも外国にきたという不安半分ワクワク半分の微妙な気持ちでした。
家に着き、現地の生活レベルはずっと上、メイドさんがいるなんてびっくりでした。しかし、とても快適に過ごせました。家族は皆フレンドリーですぐになじめました。特にステイ先の兄弟、シェーンとジェイは僕の兄弟の様で、一緒にパソコンゲームやバドミントンなどたくさんのことをやり、ステイ中は本当にたのしかったです。
二日目の朝は外食でした。予想はしていましたが、いつも日本で食べている物と味が違いました。しかし、米の種類、麺の硬さ味付けなど色々違いはありましたが、どうしても食べられないという料理はあまりありませんでした。朝食の後、昔の交易の拠点であり観光の名所、マラッカに行きました。クアラルンプールからの道中の両側には油椰子のプランテーションと思われる森林が延々と続き、教科書で習った昔のモノカルチャー経済の断面を見る事ができ良かったと思います。マラッカの街はクアラルンプールの街と随分違い、古い中華や欧風の家がたくさん連なっており、昔の世界を描いた映画の中に入ってしまった様な不思議な気分でした。
これの現地での価値といえば日本で言う南部鉄器の様なものですかねー。マレーシアの名産、錫と銅とアンチモンの合金、ピューターの加工工場にも行きました。見学コースが整備されており、色々なピューターの作品が飾られていました。ツインタワーやクロコダイルなどの大きな作品は美しいだけでなく迫力もありました。色々な展示を見た後、ピューターの板から器を叩き上げるという伝統工芸を体験しました。とてもいい出来で、指導してくれた係りの人やみんなから「上手い!」と言われ、うれしかったです。
中国風の寺院にも行きました。寺は日本の様な黒や茶色ではなく、沖縄の首里城に緑と青を足した様な派手な色でびっくりしました。2〜3階まであり、1階は小物を売る売店や食堂になっており、びっくりでした。日本と違い暗いイメージでは無く、人々が気軽に立ち寄れる様な感じで、同じ仏教なのにどうしてこうも違うんだとふしぎでした。
サンウェイラグーンというテーマパークにも行きました。幾つもの種類のプールやウォータースライダー、ジェットコースターがあり幾つもの思い出が作れ、とても良い時間が過ごせました。しかし、耳に水が入ってしまい、後日、外耳炎になる原因も作ってしまいました。しかし、外耳炎になり、「耳が痛い!」とホストファミリーに伝えるとクリニックに連れて行ってくれました。その後も、「大丈夫?」や「変だったらすぐに伝えろ?」といつも心配してくれました。とても頼もしく、うれしく、マレーシアに来て正解だったなと思える事の1つでした。
ナイトマーケットやツインタワー、中華街、ショッピングモールなど他にもたくさんの場所に行きました。外食の多さや、日の出、日の入りの遅さ、交通渋滞など、色々違う事や困る事もありましたが、やはり行って良かったと思っています。
●市原中央高校 千葉宣子さん
こんにちは、千葉宜子です。
今回のマレーシア交換留学は本当に楽しかったです。
たくさんのことを学び、たくさんのことを体験し、たくさんの友達ができ、そして家族も増えました。
一日目の行きの飛行機の中で私は緊張と不安でいっぱいでした。
クアラルンプールの空港に到着しホストファミリーの方々が迎えて下さり、あいさつをされても上手く自己紹介やあいさつが出来ず、言葉の壁の大きさにショックを受けました。
ホストファミリーの家へ到着して一番に迎えてくれたのは兄弟の中で一番下のメジュリアモでした。ジュリアは私よりひとつ年が上で年が近いのですごく安心しました。
二日目はマラッカへ行きました。
マラッカは非常に暑く、ホストファミリーの方にも日射しが強いから帽子と長袖の上着を持っていくように言われました。
マラッカで私達が最初に行った場所は「セント・パウロズ・チャーチ」「聖パウロ教会」です。
マラッカで一番古く機能している古代ローマのカトリック教会だそうです。
教会の中には文字が刻まれている大きな石板が並んでいて奥には日本のお賽銭のようにお金をいれてお祈りをする場所がありました。
教会が立っている聖パウロ丘を下ると「ポータ・デ・サンティアゴ」が見えます。
そこで私達は昔使われたマレーシアの戦車や大砲を見ることができました。
三日目は学校訪問をしました。
私が行った学校は私のホストファミリーのメジュリアモの学校で女子高校でした。
制服が何種類もあり、女子と男子で全校生徒同じ制服の私の学校との違いにとても驚きました。
また、私が廊下を歩いているとすれちがう度声をかけてくれたり自己紹介をしてくれたりして、大きな緊張も少しずつほぐれ自分から目があっただけでもあいさつをしたり自己紹介ができるなっていました。
たくさんの友達と握手をして話してみて分かったことですが、みんな私を日本から来た人としてではなく新しい友達として向かえてくれ、制服が違っても言葉が上手く通じなくても、私が学校にいた間たくさんの子が私と一緒にいてくれました。
私はそれが何よりも嬉しかったです!!
四日目は「サンウェイラグーン」へ行きました。
サンウェイラグーンはマレーシアの中でも有名なリゾート地でホテルやショッピングモール、スケート場、プール、遊園地があり、たくさんの人がいました。
私はその夜、プールへ一緒に行ったメサラモの友達の送別パーティーへ呼ばれて行きました。
食後は全員で合唱し、ゲームをして、日本の送別会とはまた違った感じでいい思い出になりました。
五日目はマレーシアの結婚式を体験しました。この結婚は私のホストファミリーのお父さんのお友達の結婚です。私は浴衣を持参したので浴衣を着て出席しました。マレーシアの結婚で驚いたことは新郎新婦入場の音楽です。青い服に黒い帽子をかぶった人が歌いながら太鼓を叩いていました。その迫力に凄く感動しました。
六日目は「ピューターファクトリー」に行きました。
ピューターとは、スズとアンチモンそして銅を混ぜたものです。
ここでは、工場見学の他に、ピューターファクトリーの歴史を知ることができたり、私達はシルバーのボウルを制作しました。
七日目はロータリークラブのミーティングに出席しました。一人ひとりが決めた日本について紹介するテーマにそってスピーチをしました。私はエンターテイメント、平川君は経済、古市君は歴史、小川君は自然について発表しました。
ミーティング後は中国の寺院へ行きました。マレーシアは多民族国家なのであまり信神深くないと思っていましたが、マレーシアには至る所に神社、仏閣、教会があり、とても驚きました。
八日目はクアラルンプール市内観光をしました。午前は水族館へ行き、ツインタワーを見ました。そして午後はセントラルマーケットへ行きショッピングを楽しみました。
最後の日は博物館へ行きマレーシアの歴史について学びました。昔の風習や結婚式のことなど、日本と全く違う文化を知ることができました。
この10日間で思ったことは、私はすごく小さな世界に住んでいるということです。世界はとても広いんだなと感じました。また人との関わりは凄く大きいものだと実感しました。
出発前にはひとりで家族や友達から離れて異国へホームステイということだけでもとても不安でしたが、ホストファミリーの方々や向こうの人々のお陰で本当に充実した10日間となりました。
この機会を与えてくださったロータリークラブのみなさま、学校そして家族に心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
●市川学園高等学校 小川雄冶さん
前回のミーティングの時は、学校の夏期講習のため欠席して申し訳ありませんでした。この度はロータリーの皆様のおかげで10日間のマレーシアへのホームステイという貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。私にとって、海外に行くのは初めてのことで、最初はとても不安でしたが、他の3人も私と同じで、それほど経験があるというわけではなく、マレーシアのロータリーの人たちもとても親切にしてくださったので、あのま向こうにいようかと思ったほどです。
ホストファミリーのテオさんの家に最初に着いた時、まず車を見て驚きました。ベンツが2台にポルシェやフェラーリなどがそろっていました。使わせてもらう部屋に入ると、元々娘さんが使っていた部屋らしく、広さが20畳ほどもあり、中にトイレとシャワーがついていて、クーラーの設定温度が初め16度に設定されていて少し寒かったです。
次の日、マラッカという町に向かう途中、高速道路でパーキングエリアに寄ったときのことです。トイレの大きいほうに入ると、トイレットペーパーがおいておらず、蛇口につながったホースだけがそこにはあり、最初使い方がわからず、とても困りました。マラッカでは、歴史的な建造物や石碑を見ました。その後、露天商で少し買い物をし、街中を見て回りました。
18日は近くの学校を訪れ、そこの生徒と一緒に授業を受けました。1時間目は体育で、サッカーをやったのですが、そのとき、置いておいた制服のポケットに入っていたデジカメがなくなってしまいました。するとクラスの子が総出で探してくれました。しかし、なかなか見つからないので、「もういいよ。」と言ったのですが、みんな「大丈夫だから。」と言って探し続けてくれました。しかし、結局見つからず授業に戻りました。そのとき隣に座っていた子と話をして、誕生日を聞かれて、今日だと言ったら、帰りに、クラスのみんなが日本語で「たんじょびにおめでとう」と書いた寄せ書きをくれ、とても嬉しかったです。そして、その後、職員室に呼ばれ、行ってみると、カメラがトイレの便器の中で見つかったらしく、それを渡されました。少し臭いましたが、直せば使えるだろうと思っていたのですが、そのことを知ったテオさんが誕生日プレゼントだと言って新しいデジカメを買ってきてくれました。
20日はJDジョンさんの友人の結婚式に行ったのですが、「日本の伝統的な服を着てきてくれ」と言われ、当然和服など持っていっているわけもなく、しかたがないので寝巻きとして持っていった甚平を着ていきました。結婚式の後はJDさんにフリーマーケットに連れて行ってもらい、そこでサングラスが300円ほどで売っていたので、これは安いと思い、買ったのですが、2日後にレンズが外れました。
22日はロータリーのミーティングに行き、英語でスピーチをしたのですが、通じたかどうかはわかりません。その後は、ホストファミリーではないロータリーの人の車でショッピングモールに行ったのですが、駐車するときに前に停車していた車にバンパーをぶつけたのです。しかし、何事もなかったかのようにそのまま駐車していました。どちらの車にもそれなりに跡が残っていたのですが、マレーシアの人はおおらかなんだなと思いました。ショッピングモールの中は、とても人が多く、さまざまな店が並んでいて、日本とそれほど違いはありませんでした。唯一違うとすれば、食品売り場がドリアン臭かったことです。
今回のたびでは、さまざまな新しい出会いと発見があり、まだまだ未知の世界が限りなくあることを改めて感じました。ロータリーの皆様のおかげでとても有意義な夏休みを過ごすことができました。本当にありがとうございました。これからは、最低限英語が話せるようになり、祖父の望みでも会った、国際人になれるように努力したいと思います。ありがとうございました。
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