2006年6月14日
第2076回例会
SAA(司会) 宇都宮会員
会報担当   藤谷会員

   例会場  ℡ 0436-23-1211 〒290-0026 千葉県市原市五井5584-1五井GH
   事務局  ℡ 0436-40-8900 〒290-0062 千葉県市原市八幡1073
        Mail Address:info@ichihara-rc.com
      会長  加藤 利夫     副会長  津留 起夫
      幹事  千葉 精春      副幹事  西村 美和子


  市原RC会長 加藤利夫
      
  我らの生業

 



篠田 美幸
よしゆき

(入会前見学)

  市原RC会長 加藤利夫
 皆様こんにちは。
気象庁が梅雨入り宣言をしました。沖縄地方では土砂災害が発生している様ですが千葉県は大振も無く経過しております。 
本日は6月の第2例会という事で私の最終例会も近づいてまいりました。
大分気楽になりました。次年度の理事会も開催されまして7月のプログラムも決定いたしました。
津留エレクト、西村幹事には7月のご活躍をご期待申しあげます。
本日は佐藤勇会員に「私の幸運な人生」と題して卓話を頂きます。
どうぞよろしくお願致します


月信12号に齊藤PGと山崎GAの一年を顧みての挨拶文が載っておりますのでご覧ください。



西村次年度幹事  事務局員を採用しました。7月1日採用ですが、来週と再来週に事前見学に来ます。




佐藤勇会員


『私の幸運な人生』

 人間、80年余りも生きていると、色々な「運」があるものである。今日はその運の中で、本当に幸運だったと思うこと、然も直近.のことを一つ申し上げたい。
 私は平成12年6月に、三陽工業㈱の社長職を若い常務に譲り、会長になった。そして現在に至っている。会社も元気に活動し、業績を挙げているので心から有難いと感謝している。
 私が社長になったのは、先輩の先代が急逝し、二代目として先代の御家族の強い要請を受け入れたものであり、私の後任も亦他人の三代目である。
 今から10年程前、会社の財政に重大な支障が生じた事があった。全く思いがけない事によって引き起きた事であり、この事態の収拾に全神経を注いだのである。
 私は会社を引受けた時、事業部制を敷き、設計事業部と複写事業部とした。そして事業部に独立性を持たせ乍ら競争意識を植えつけて行った。そんな時、設計事業部の責任者として常務取締役だった人が退職したので、その人の後任として大企業の設計事業に携っていた人を紹介してもらった。丁度、彼は定年で60才、東北大学機械科の出身であった。早速入社してもらい、常務取締役として経営に参画してもらった。次の株主総会で専務に昇格してもらい、この人に2、3年後に社長を譲ろうと思った。そして更に2期社長をお願いした後に、若い取締役として複写事業部長として頑張ってた者を社長にしようと考えていた。
 或る日、私がその様な思いを彼に話しをした途端、設計事業部長の顔色が変わった。「有難いお話しですが、私は社長という大任はお引き受けできない」と言った。よく話しを聞いてみたら、「実は私は病気持ちで、医者にかかっています。」ということだった。誠に残念ながら、病気持ちで健康に自信がないというのでは、止むを得ないので、治療に励むように頼み、後任社長は一時諦めることにした。そうこうしている中、彼は退社してしまった。
設計事業部長を社長にし、その次に私と25年程一緒にして来た若い複写事業部長を社長にしようとしていた私の構想は崩れてしまった。
70才になったら社長を辞めて、若い新しい活力を注入する予定だったが75才過ぎまで延びてしまったのである。勿論社長を譲るには、その人の資質と、経営に必要な考え方を経験させる必要がある事は言うまでも無い。
 丁度その頃、取引先の都合に依って、設計事業部の売上額が、一
挙に30%の値引きに会って、その事業部が赤字部門に転落してしまった。色々と手をつくしたが、この事業部の赤字は、2年近く続き、私は遂にこの事業部の廃部を決意せざるを得なくなった。この赤字の負担が複写事業部へも及ぶことを恐れたのである。取締役会でその決意と廃部後の収拾について理解を求め、設計事業部員全員の集会を開き実情を説明し理解を頂いた。大変な重労働であった。当事者の社長だけが知る苦労だった。会社規程に添い退職金を割増して支払い、一人の反対者もなく、円満に解決する事ができた。
 赤字事業部の廃止によって、会は順調に歩み始める事になった。この様に、大変な状況の中で、社長が毎日必死の資金繰りをし、毅然とした態度で、且つ冷静に不良部門の整理をした事実を、若い常務はしっかりと自分の目で確認した事を、私自身も確認した。
 ここで私は永い間考えていた社長退任の好機ど判断し、若い常務に社長の職権を委譲する決意を伝え、彼の承諾を得たのである。中小企業の社長を委譲するという事は、譲る社長にとっても、引受ける人にとっても、並大抵の決意ではないと思う。
 社長を退めて譲る時、ただ譲るから引受けてくれと言っても、簡単に引受ける人はいないだろう。退める人は、日常行動が常に潔白でなければなるまい。引受ける人も、社長が、毎日の経営の為に資金繰りに四苦八苦したり、自分の資産を銀行に抵当に入れて頑張っている姿を見れば、頼まれたからといってすぐに、承知出来ないだろうと思う。長年一緒にやって来た関係では尚更であろう。
然し中小企業として事業をやっておれば、銀行からの借入等は当然であって、その資金のやりくりで立派に会社を運営し、社会に貢献しながら業績を挙げ社員と共に成長する経営方針を持ち、頑張る企業が理想であろう。
 しっかりとこの現実を見つめ、しっかりした決意を持って事業を継承する人を育て、委譲する事が出来れば成功である。私の場合、私と共に30年、営業と経営で苦楽を共にして来た後輩が居て、信頼関係が出来ていた事が、事業継承の上で大きな要素であった。本当に私は、いい部下を持つと共に、事業継承した時もまさに好機であった事に「幸運」の喜びを禁じ得ないものがある。
 最後になりましたが、皆さんもお読みになった方・も居られると思いますが、去る4月29日の読売新聞の朝刊に、こんな記事が載っておりました。
 【創業者は高齢化、後継者なし】「中小企業、年7万社廃業」という副見出しだった。2001年~2004年の平均年間廃業社29万社のうち、少なく共7万社は、廃業の理由として、後継者不在をあげ、20万~35万人が職を失っていると指摘していた。



佐藤勇会員:拙い卓話を聞いてもらいました。有難うございます。

前々回確定 68 %
本日出席者 40 名
本日欠席者 10 名
本日出席率 80 %

     加藤利夫会長