2005年10月26日 第2047回例会 SAA(司会) 尾中会員 会報担当 藤谷会員 |
例会場 ℡ 0436-23-1211 〒290-0026 千葉県市原市五井5584-1五井GH |
仏母寺住職 安井玉峰 師
市原RC会長 加藤利夫
皆様こんにちは。先週は市原中央ロータリークラブとの合同親睦例会でございました。 |
市原RC幹事 千葉精春
1.今年度地区大会(11/19.20)について |
親睦委員会 小川委員 | 11月2日の移動例会(葛飾柴又散策)集合出発は 姉崎駅西口13:30 五井GH13:50です。 |
安井玉峰 師 仏母寺住職 (臨済宗妙心寺派) 人の生き方 『世相断想』 |
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皆さんこんにちは。今日はお招き頂き、また時間を頂きまして感謝申し上げます。 今日は私なりに少しお話しさせて頂きます。 このごろよく思うことがあります。人の心というのは怖いというか、掴み難いというか、摩訶不思議というか。仏教では、心を形にすれば慈悲と素直と柔らかさ。優しい言葉で紹介してあるんです。これは理想ですけど、時にはけたたましく叫びの世界に入ったり、暗闇の中へ堕ちこんだりいろいろです。心こそ心迷わす心なれ、心に心 心許すな、心とは如何なるものをいうやな、すみれに隠し松風の音、面白きことも無き世を面白く住みなすものは心なりけり。五尺の人の心中こそ知れ難く恐るべきは人の心なり。良寛さまは言ってます。悟りを開かれた良寛さまが恐るべきは人の心。だから私たちはどのように何時も調整して、そして自分で感性を体験の中で作っていくかが、この人生を生きて行く勝負ではないかと思います。皆様も経験の下にあると思いますが、幼いときに受けたいろいろな環境とか、その時の過ごし方とか、言葉とか、そういうものがどこか目に見えない体の奥に染み付いていることがあるんです。或る方で会社の重要なポストに就いて出世して、大学も一流、頭も良い、だけど時々ぞっとする様な冷たさを垣間見ることがある。何でなのか?といろいろ訊きますと、小さい時にお母様の愛情を知らなかった。始めから知らないのではなく途中で自分の弟が病弱だったので母は弟ばっかりに愛情を注いで、自分はお手伝いに来た人に預けられ、その人だけがぼくを育ててくれた。そういうところに寂しさとか、僻みとかが何処かに残っていたんだと感じるものが有りました。幼いときの環境というのは怖いですね。(略)。 どんな道でも、スポーツだって、そして伝統的な文化踊り、絵とか書とか、茶道も、何かひとつの道、それを習っているときに、やはりそこに戦いがあるんです。何でそんなに出来ないのってお師匠さんに怒られる。先輩にやられる。そして、悔しい、頑張ろう、そこにまた意欲が出て、心鍛えていく、己を正していく。どんな道でも、これやりたいという志もつじゃないですか。そのつぎに必ず忍の世界があって、そして器です。器とは人格ですね。必ずこれを通らないといけないのです。今、世間の若い子を見ていると、これ嫌いですね。辛抱するのヤヤ。学校でチョット問題のある子を先生が連れて来られてお話しします。なんで学校行くの嫌なのか訊くと・・だってぼくキライやもん。家で自分の部屋で好きなことやってるほうがぼくにあうんや・・。キライとかスキの世界では、人格を作ることはないですね。いわゆる自我の世界でしか生きられない。そしたら人格という器には辿り着けない筈ですね。(略) 春秋時代に孔子さま(儒家)がいらして、論語の中に例えば、人が自分を作っていくのに一番大事なのは呼吸(息)であるということを書いてあります。体をととのえ、呼吸をととのえ、そして心がととのう。正三角形です。これを三面等価といいます。非常に安定した姿ですね。皆さんは呼吸というものをどのように捉えておいでかということです。今の子供たちが座禅に来て、体を正しくさせて、呼吸をととのえましょう。そこで、何処で呼吸しますかと訊くと、必ず肺で呼吸する、みなそう言います。そうではなくハラで呼吸しましょう。ハラは何処ですか訊くと、ここやと胃の上おさえる子が多いです。胃の上いうことは臍の上でしょ。本当のハラは臍の下やというと、皆へぇ~と笑うんですよ。禅ではハラは肚と書きます。下半身ですね。下にある。上にない。肚がないということ、全部思うが上にあること。正しい姿勢をしようと思えば、健康的に息づかいをしなきゃいけない。これが今、子供らが直ぐキレタリ、幼いときのようにあれ欲しい、これ食べたい、我侭なのは、肚で練ることが出来てないんです。食事頂いたらよく口で噛んで咀嚼しますね。噛ことが栄養にも静脈流にもよく活性化するいいますね。心の咀嚼は肚でしなきゃいけない。なにかあったらウゥ~と肚の下に入れて、ここでゆっくり咀嚼していると間がもてて、会話でも直ぐに、ボンボンボンと相手のこと否定することないでしょ。(略) 私はいろんな相談いうかお話とか伺うことがあります。去年でしたか鎌倉の円覚寺の管長さんと年に一回くらいお寺で会うことがあって、いろんな話してくれはります。そのとき管長さんは、こんなとき、ぼくは三言しか言わないといわはる。《まずね、 あっそう あっそう と聴くんやよ ・ つぎはね、 困ったね 困ったね ・ つぎは、 良かったね 良かったね》 これだけだよ言うはったんです。私は前は、お釈迦さまはこんなこと言うてはるとか、偉い坊さんでこういう人はそんなことがあるよとか言うてたんです。それよりも同じ思いでその悲しみを受け止める人がいるということのほうが、どんなに力になるかしれない。人間というのは孤独がとても怖いです。誰も私のこと解ってくれない、愛してくれる人・仲間いない、と思ったときはとても寂しいものです。(略) 今の中学生のある学校の会報を見せてもらったとき、書いてあった中に、やっぱりあの子達は「私がもし泣いていたら、お母さん一緒に泣いてくれますか」 「僕が苦しんでいたら、親父一緒に苦しんでくれるか」 そういう叫びの言葉が多々あったのにはびっくりしました。お父さん、お母さん、上からもの言うてるのは、ダメなんでしょうね。小さいときは、これダメねのよとかは言わなきゃなりません。自立してきて大人のものが芽生えてきたときは、そこでいろんな悩みや苦しみを共に感じてあげる親の大きさっていうのは必要なだろうな。(略) 三面等価は全てのいろいろなものに当てはまります。例えば権利があります。これには必ず義務がある。僧侶がこのごろ感じることです。権利(自動車の免許)→義務(違反をしてはいけない)→責任(もし事故でも起こしたら) ちゃんと三つある。それをみんな責任の部分を忘れちゃう。権利というのはいわゆる欲望ですよ。義務というのは、好きとか嫌いでやるものでない。社会の人々と、また日本の国民として生きて行くんなら法律守らにゃいけない。義務と責任、それが嫌なら日本を出て行けと思いますね。(略)権利と義務と責任というのは、ちゃんと三角形で等しくないとダメだということですね。いろいろなものをみますと、好意と言葉と心、これも三面等価です。好意・言葉・心、これも等しくないといけない。(略) 仏教でいつも笑顔で、いつも明るく、これは遺伝子というか細胞が目覚めるんだそうです。ポジティブな考え持つと。好きやな思ったら目覚める、いややな思ったら眠ってしまう。つらいつらい思っていたら円形脱毛でてくるとか、胃悪くなるか。そういう仕組みになっている。お釈迦さまが説いているのは、まさにちゃんと科学的裏付けがあると自信持ちました。健康でいい仕事しよう思ったら職場の雰囲気が明るくて家庭もあかるくて楽しいないと出てこないよ。遺伝子が眠っていくんだから。感情というものは凄い力を出すんだから、明るい場をたくさん作って、自らも楽しく。だから人生は己自身だということが解ります。だれが導いてくれる云々じゃないよ。仏法を習うというは自己を習うなり、と永平寺の道元禅師さんがいうてるそのままです。丹田で呼吸して肚で咀嚼して、いろいろなこと何でも受け止めてやる。そして、相手が元気出るような優しい言葉をぷるっと言うてやって下さったらとこのごろ思います。 |
吉田会員:長期欠席、大変失礼致しました。(直前出席委員長)
伊藤会員:光風台に小さなパスタ店をOPENしました。お近くにお越しの際はお気軽にお立ち寄り下さい。
三平会員:ひと月ぶりの例会出席です。館山RCとの合同例会に沢山参加していただきありがとうございました。
その後三週は学会などで欠席しました。但し他のクラブでメーキャップしております。
始関会員:蔵内さんから愚妻に思いがけないプレゼントを頂きましたので。
泉水会員:本日、私の誕生日です。うれしくもあり、うれしくみなし。
綾部&職業奉仕委員会一同:本日は、本年度職業奉仕委員会とっておきの卓話をお聞き頂きありがとうございました。
“人”の道を誤らぬ様ご理解頂きましたでしょうか?
山田会員:兄の逝去に際し、白鳥会員始め多くの会員より丁重な御弔意と御香典を頂きましたので、
衷心より御礼申し上げます。
安井玉峰師 :(卓話の御礼を良いことにお使いくださいとのことで)
前々回確定 | 78.0% |
本日出席者 | 40名 |
本日欠席者 | 10名 |
本日出席率 | 80.0% |
加藤利夫会長