2005年9月21日
第2042回例会
SAA(司会) 宇都宮会員
会報担当  藤谷会員

   例会場  ℡ 0436-23-1211 〒290-0026 千葉県市原市五井5584-1五井GH
   事務局  ℡ 0436-40-8900 〒290-0062 千葉県市原市八幡1073
        Mail Address:info@ichihara-rc.com
      会長  加藤 利夫     副会長  津留 起夫
      幹事  千葉 精春      副幹事  西村 美和子



  市原RC会長 加藤利夫
            
  手に手つないで

  なし

  市原RC会長 加藤利夫

先週末は中秋の名月でしたが皆様ご覧になられたでしょうか?
いざよいの月→15日の月より少し送れてためらって出る月
立ち待ちの月→夕方に待つ間に出る月 17日夕
臥す待ち月 →月の出がおそいので臥して待つ意味
昔の人は月を見るのも風情があった様です

  市原RC幹事 千葉精春

1.委員補充の件(敬称略)
    S.A.A.  羽良好子
    親睦委員会  (副委員長)菊地政廣 (委員)川内信一、檜垣可子、山本順也
    雑 誌     大和久雅弘

2.地区大会エクスカーションの件
    参加希望の方は幹事まで

3.渡邊 隆PGの「老人学事始め」を配布の件

4. 

館山RCとの合同例会と戦跡見学 平成17年9月28日()

氏    名

乗 車 場 所

 1

佐藤 勇

五井グランドホテル 10:00出発

 2

斎藤 博

 〃   〃

 3

白鳥政孝

 〃   〃

 4

上條優雄

 〃   〃

 5

南山 治

 〃   〃    (プログラム委員長)

 6

常泉健一

 〃   〃

 7

川島 智

 〃   〃

 8

西村美和子

 〃   〃

 9

川内信一

 〃   〃

10

行木一雄

 〃   〃

11

山本順也

 〃   〃    (親睦委員)

12

常澄明男

〃   〃

13

加藤利夫

姉崎駅東口(山側) 10:15出発 

14

津留起夫

 〃   〃

15

夏井祐輔

 〃   〃

16

加藤庄司

 〃   〃

17

角谷 修

 〃   〃

18

檜垣可子

 〃   〃    (親睦委員)

19

髙澤豊昭

 〃   〃

20

綾部正幸

富津中央入口

21

泉水孝夫

現地        (親睦委員長)

22

小川長二

現地        (親睦委員)

23

藤谷泰弘

現地

24

三平忠宏

現地   打ち合わせのため

25

千葉精春

現地   18:00~合同幹事会(千葉市内)
の為、単独移動


尚、参加費としてお一人 2.000円のご負担をお願い致します。
(日程) 12:00~12:15  館山夕日海岸ホテル着
     12:30~13:30  例 会
     13:45~15:45  戦跡見学
     17:30~18:00  姉崎駅、五井GH着

合同例会は、出席者が館山50名、市原25名となります。













































 

前年度国際奉仕委員会 山田 委員長

2790地区「青少年交換学生帰国発表会」
2004~2005年度の「地区青少年交換学生」の帰国発表会が千葉市の「青少年婦人会館」で行なわれ、
カウンセラーとして出席してまいりました。

行った先の国の異文化に接する事が出来、英語が(少し)出来るようになり、人生観が変わったという一般
的な体験のみではなく、この制度で世界から集まった留学生との交歓ができ、友達になれるといういう大きな
特色があり、このような制度のあるロータリーは本当に素晴らしいと思いますという多くの感想が述べられ、
強く印象に残りました。





上條会員 私の生き方、職業への取組み”

      第1弾
業種転換を決意して

 私は今年度のプログラム委員を拝命しております。期首に南山プログラム委員長より、「今年のプログラムを組むに、どんな内容が良いか」を相談され、とっさに思い付きでNHKの「その時歴史が動いた」が頭に浮かび、「長く事業所を営むそれぞれの会員には、その事業を左右するような大きな転換期を大なり小なり経験されているのではないでしょうか。そんな実話を聞くチャンスがあれば、面白い卓話になると思うのですが・・・」と申し上げました。第一こうしたプログラムならば、クラブの金銭的負担も少ないだろう、という思惑もありました。それが第一号に私に順番が回ってくるとは、およびも付かないことでした。

ケーヨーデイツーでお馴染みの株式会社ケーヨーは昭和54年までは京葉産業株式会社と言いまして、油屋でした。私も県の石油組合の常任理事をしていまして、京葉産業の岡本専務とは役員会の席を同じにしていた関係で、良くお話をしました。京葉産業の初代社長は永井さんと申しまして、千葉RCのメンバーでした。岡本さんと永井さんは京都大学の同級生であり、二人で千葉市内に燃料店を開業し、炭を積んだ荷車を前引き後押しで行商した仲だそうです。昭和40年代は急成長して、県内にガソリンスタンド網を張り巡らしていきましたが、昭和49年にホームセンターへの劇的な業種変更を行なったのです。今考えますと、それが東証一部上場の資本金150億という大会社への礎となったようです。

10年ほど前にその岡本さんと電車の中でバッタリ会いました。東京駅までの雑談の中で、彼が言った一言が今でも忘れられません。「業種のために企業があるのではない。企業のために業種があるのであって、企業発展のために業種を変更するのに、何のためらいもいらない」

私の親父は会社を10件作って、7件潰したという経歴を持っています。関東大震災や大東亜戦争の中で中小企業の親父として生き延びてきた結果でしょう。それを子供心に見ていまして、業種を変えるということには、さして抵抗を感じないばかりか、むしろ長い人生の中で中小企業には業種変更は必要不可欠という観念があったのかもしれません。“一業種一人生”を尊いとお考えの方が多いと思いますが、私が異端児なのでしょうか。

平成の初期に諸々の規制緩和策が取られ、石油業界も例外ではありませんでした。それまでは半径2KM以内に4箇所以上のガソリンスタンドがある場合は、5件目は通産省が建設を許可しないとか、学校や病院の近くには建設できないとか、諸々の行政指導がありました。市原市は全国的に見てもガソリンスタンド過蜜地帯でありまして、SS建設規制地域に指定されており、代替物件が無い限り建設できないといった時期もありまして、既存のガソリンスタンドは営業権が高値で売れるといったこともあったぐらいです。

その建設規制地域撤廃の予告が出まして、私は組合の役員をしていた関係で役員仲間であった五井の白井新一さんや切替尊敏さんと通産省石油石炭課へ陳情にいったことがあります。それを機に同課の若いエリート課長さんとじっこんになり、プライベートで話し合う仲になったのです。彼は「市原の皆さんはSS建設規制を継続するように言われますが、そんなことをしていては日本国が倒産してしまいます。それでも貴方は良いと言うのですか?」と言われます。続いて「貴方のような小規模の油屋さんは、悪いことは言いませんから商売を止められたほうが良いでしょう。これからの油屋さんは資本力の競争になりますよ」とも言われました。現在その課長さんはOECDで日本を代表する官僚ポストにおられます。

時を同じにして平成初期にアメリカ東南部を数名の油屋仲間で旅をする機会に恵まれました。当事アメリカではセルフスタンドが大流行していまして、日本では安全対策の観点から許可になっていなかったのです。いずれ日本でも同様の道をたどるであろうと予想されていましたので、そのセルフスタンドを視察することと、セルフ以外のスタンドで繁盛している店を見るのが目的だったのです。

極端に言えば2000坪もの広大な敷地に給油ポンプが林のように立っています。中央に防弾ガラスで囲われた事務室があって、女子事務員が一人、手だけ入るような小窓を通して金銭授受を行なっています。場内ではプエルトリコ系の黒人が一人、ゴミを拾ったり水を撒いたりしています。コスト削減のためというのですが、お客様用のトイレが無いのです。これが10年後の日本のガソリンスタンドかと思ったとき、はたして油屋を続けるべきか否か考えさせられました。アトランタからは15時間の飛行ですが、仲間の油屋と議論の連続で、あっという間の成田到着でした。「日本はアメリカとは違う」「いや資本力に貧しい中小業者は生き残れない」といった結論の出ない議論の連続でした。

平成4年に私は油屋からの転業を心の中で決意していました。今思うに石油組合の役員をしていたお陰で貴重な情報を得られたこと、良い仲間経営者を持っていたこと、良いアドバイスをいただけた先輩に恵まれていたこと、などのラッキーに恵まれていたのかもしれません。ロータリーも同様ですが、道を誤らずに生きていくのに最も大切なことは、良い知人・友人を持つことだと痛感しています。

当事私は3店舗のガソリンスタンドを経営し、サブ店を2店舗持っていました。ですから油屋廃業をするのは容易なことではありません。廃業するには大きな資金を必要とします。従業員の身の振りはどうしたらよいのでしょう。辞めてその後は何をすれば良いのでしょうか。石油業界が不振になることは解っていても、全部が無くなるわけではありません。先の通産省の課長はガソリンスタンドは半数になるでしょう、と予測していましたが、当時の市原市のガソリンスタンドは140件。今は90件で、まだまだ減少傾向にあります。なるほど予想どおりです。ですが努力すれば立派に生き残っていけるのではないか。そんな試行錯誤の連続でした。しかも従業員をはじめ、銀行にも取引先にも心の内を話せない、悶々とした日々でした。

平成4年に茂原店を、ついで5年には千葉大厳寺店を閉鎖しました。この2店舗は元売からのリース物件でしたので、比較的に容易に閉鎖できました。それでも洗車機をはじめ諸々の資産台帳に載っている物件はほとんどゴミ同様です。一番時間のかかりましたのが債権回収です。当事のガソリンスタンドはその90%を掛売りで販売していまして、正常な取引を続けていましたお客様でも、こちらが店を閉鎖したとなると、潤沢に支払ってくれない方も出てまいります。

従業員もアルバイトはともかくとして、正社員はなんとしても解雇は避けたいと思い、雇用し続けました。それは最後の店を閉鎖するまで私の信念としてつらぬきました。大した蓄えもない貧乏会社ですから、資金も底をついてきます。でも、銀行も後ろ向きの資金需要ですから積極的には相談にのってくれません。何よりも辛いのは世間の眼です。東光石油もダメみたいだよ、と噂されているようで、白い目線を感じることもしばしばでした。

サブ店は力のある大型特約店に卸し元を変更し、残るは自前で持っていた本店の白金町SSです。このお店は厳しいながらも黒字を計上しておりましたし、洗車や整備・軽鈑金といった特殊技術も持っておりましたので、背水の陣で経営を存続させるか否か、まだ迷っていたのです。ところがこの土地を譲って欲しいという人が同時に二人も出てきまして、私の頭越しに価格の吊り上げっこをはじめたのです。丁度そのころ地下タンクの不備が出てきまして、それを修復するには億単位の資金が必要となります。新たな設備投資をして油屋を存続させるべきか、バブル崩壊で今後も地下は下落するであろうと予測される中、比較的好条件で売れる今、閉鎖を決断すべきか、最後の決断を付き付けられたのです。

平成元年ごろからレンタカー事業を併設していたのですが、仕入れ元であった石油元売が某レンタカー会社を買収し、全国展開を始めておりましたので、そのお付き合いとして始めたもので、車両台数も40台程度と、いたって小規模であり、管理を番頭に任せっぱなしにしていましたので、大した業績はあげていませんでした。しかし、レンタカー業の情報を集めてみますと、バブル崩壊の時代にあって業界全体の売上は右肩上がりを続けており、今後も安定した伸びが期待できるであろうと予測されました。もっとも現在ではその石油元売が身辺整理の一環で他社大手レンタカー会社へレンタカー部門を売却してしまいましたので、フランチャイズ店としての私どもは、そのまま他の系列に移行することになりました。

よし、レンタカーに賭けよう! 3年で現在抱えている社員が飯を食って黒字を出せるところまで頑張ろう! そう心に決めて最後のスタンドを売却することを決意したのが平成7年の夏でした。この土地建物は昭和44年に取得したもので、大変な税金を払うことになりましたが、幸いにも相場以上の価格で売却できたもので、元売への仕入れ代金を決済し、銀行借り入れをすべて償還し、いくらかの手持ち資金を残すことができました。27年間お世話になった法人のお客様には大小を問わず自ら巡回して「閉店のお礼」を配って歩きました。また、固定の現金のお客様には赤白のドイツワイン2本「閉店御礼」として差し上げました。「開店祝いとうのは良くもらうけど、閉店御礼というのをもらったのは初めてだね」と大勢の方に言われたものです。今になって考えて見ますと、あの時に記念品をお出しして本当に良かったと思っています。世間は良く覚えてくれているもので、今でも営業に歩きますと、“あの白金町の東光さんね”と好印象を持って応対してくださいます。

良くしたもので、それまでほとんど売上の伸びなかったレンタカー部門ですが、親父も“この道一本で・・・”と心を決めましたし、残った社員も何とか油屋全盛のときの社員数に戻したいと、一丸になって頑張ってくれた結果、予定の3年で黒字計上ができるようになりましたし、それ以降も潤沢に売上アップが図れておりまして、紛議ってから9年、現在では社員数もほぼ油屋当事に復帰することができました。転業当初は私の給与も生活費のみにまで圧縮しましたし、毎月の赤字に頭を悩ます日々でした。その時分にはロータリーの例会にも満足に出席できなかった記憶があります。

今、私は64歳で息子もナンバー2として勤務してくれています。そろそろ引退も考えねば、と思っていますが、昔のままの油屋だったら多分息子は後を継いでくれなかったでしょう。それを思うと、あの時決断をして本当に良かったと思っています。それもこれも良い隣人と幸運に恵まれて今日があることをつくづくと実感しております。

つたない私の回顧録を聞いていただきまして、恐縮です。当クラブの会員の皆様には、もっともっと劇的な転換期を生き抜いてこられた方々が大勢おられることと思います。業種はさまざまでも、ここが生死の境い目というときに、いかに踏ん張ったかを実話でお聞かせいただければ、皆さんを勇気百倍にさせるものと思います。次回は是非貴方の“その時歴史が動いた”をお聞かせください。



上條会員:おはづかしい卓話をさせて頂きました。

羽良会員:千葉先生ありがとうございました。歯がうづき困ってましたが治療して
         いただき落ち着きました。

菊池会員:先日、中山カントリークラブでのコンペに参加しました。とても市原代表
        とはいきませんでしたが飛び賞を頂きました。もう少し頑張ります。

蔵内会員:初めて地区ゴルフ大会に出席しました。ご一緒にラウンドした方がシニア
       
の方たちで緊張しませんで、楽しくラウンド出来ました。上手とほめられましたが、バック
        
ナインで大叩きしました。これも年のせいですね。送迎をしていただいた
        三木様斎藤様のご親切に感謝いたします。

加藤会長・千葉幹事:
上條さん卓話ありがとうございました。何事にも先を読む才能
        感服しました。



前々回確定     80.0%

本日出席者         39 名   

本日欠席者          11

本日出席率          78.0

     加藤利夫会長