2005年3月9日
第2016回例会
SAA(司会)    会員
会報担当  川内会員

例会場&事務局  〒299-01千葉県市原市姉崎584
 п@0436-61-2245 Mail Address:info@ichihara-rc.com
 会長  始関 信夫      副会長  加藤 利夫
  幹事  角谷 修     副幹事  千葉 精春

  市原RC会長 始関信夫

   我らの生業

  なし

 市原RC会長 始関信夫

1)3月1日市原ロータリー・クラブの第二回公開例会が無事終了しました城山三郎先生を招請したプログラム委員会の皆さんの努力に感謝致します。

2)皆さんにご意見をお願い致しました「会場移転問題」に対する回答結果は4件ありました。全回答とも賛成意見でした。 具体的移転日時等は理事会で、正副会長幹事に一任されておりますので、協議致しまして結果を報告致します。

3)RI2790地区より当クラブ2名の会員に地区委員の推薦依頼がありました。 クラブ奉仕委員に常泉会員、インターアクト委員に加藤庄司会員です全理事賛成で一致し、お二人のご活躍を祈念いたします。



○ 次年度より事務局を設けますが、渡辺さんの面接を行いまして、内定いたしました。

○ 3/14の袖ヶ浦RCとの合同例会ですが、会場「レストランすずとみ」の横に駐車場を用意してあります。
   電車の方は袖ヶ浦駅から徒歩5分程度です。

○ 地区R財団より連絡がありまして、1981/82年度、当クラブ推薦の財団奨学生としてアメリカのウエストチェスターカレッジ大学院へ留学された榊原ユリコさん(現在はハタサ ユリコさん、ハワイ在住、52歳)からの連絡で、お世話になったロータリーに遺産を寄付したいとの申し出があったとのことです。
27年ほど前の話ですから、ご記憶のある方もおいでかもしれませんが、始関会長が当時の会報を調べましたところ、1981年5月6日の会報に、榊原さんの当クラブでのご挨拶が載っておりました。また、斉藤 信会員がR財団委員長をされておりまして、4週後の出発の直前のカウンセラーとしての報告が載っております。

 

三平雑誌委員長:「ロータリーの友」の読みどころについて、会報に記載してあります。(会長代読)

加藤(利)クラブ奉仕委員長:先般クラブ奉仕委員会を開催いたしました。 全般的に事業は順調に推移しております。

綾部プログラム委員長:
@ 3/23のプログラムを横山会員による一日会長を予定しておりましたが、当人の転勤でプログラムを変更します。
A 4/6例会は松尾ガバナー補佐出席の基、クラブ協議会として各委員会の活動状況を報告いただきます。

山田国際奉仕委員長:榊原さんを財団奨学生として送り出したことは、良く記憶しております。大変嬉しく思います。

山崎プログラム副委員長5/27,28柏崎原発見学旅行は25名以上にいたしたく、皆さんのご出席をお願いいたします。



結婚:赤星、角谷、菊地、綾部、三平会員

誕生:小池、白鳥、山田会員

ポールハリスフェローのメダルを贈呈

川内会員、

小川会員、

おめでとうございます。

新入会員入会式

檜垣可子会員(写真:右)
(紹介者:始関・角谷会員)

山本順也会員(写真:中央)
(紹介者:始関・行木会員)

長田博正会員(写真:左)
(紹介者:藤田(千葉港RC)・角谷会員)



   我が青春と大東亜戦争     夏井祐輔会員

咋年12月8日の例会日は奇しくも63年前の大東亜戦争勃発の日でした。
当時、私は中学3年生。早朝ラヂオから流れる軍艦マーチに乗って臨時ニュース「大本営発表」:「本朝未明帝国陸海軍は西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」はいよいよやったかに、全国民が欣喜雀躍、改めて国難に立ち向かう決意を固めたのである。

米国の最後通牒(通称ハルノート)は「満州から即事撤退せよ、さもなくば石油・鉄鉱石の輸出を禁止する」は到底日本が飲めない難題で、戦争か、しからずんば死かの二者択を迫られた自衛の戦いであった。

○ 8日3時19分南雲中将率いる機動部隊、ハワイ真珠湾空襲。山下中将率いる陸軍部隊、マレー半島コタバルに上陸。シンガポールを目指して進撃。駐米野村大使がハル国務長官に対米最後通牒を手渡したのは、真珠湾攻撃に遅れること61分の4時20分であった。

○ 10日マレー沖海戦で英戦艦プリンスオブウエールズとレパルス轟沈。

○ 16日英領ボルネオ島に上陸、世界最大の戦艦(69,000t)大和竣工。しかし20年4月7日特攻戦艦として沖縄に向かう途中、米空軍に補捉され、九州南西洋上で敢無く最後を遂げる。

○ 20日ミンダナオ島上陸。22日ルソン島リンガエン湾上陸。23日ウエーク島上陸。

○ 次々と発表される耀かしい戦果に国民は熱狂し、青少年は吾も続けと軍人を志願した。

○ しかし17年6月のミッドウエー海戦を境に米英軍に戦いの主導権を握られ、南太平洋地域で拠点を奪われて行く。暗号解読されていたのがその理由であるという。

○ 18年2月ガダルカナル撤退。4月山本連合艦隊司令長官戦死。5月アッツ島玉砕。7月ニューギニア敗退。8月から11月ソロモン諸島敗退。10月学徒出陣式・・・ペンを銃に持ち替えて・・・。

○ 11月大東亜会議東京開催。

○ 19年5月アッツ島玉砕、ラバウル孤立。6月マリアナ沖海戦、大敗を喫す。7月サイパン玉砕、インパール作戦中止(戦死3万、戦傷4万2千)ガム島玉砕、テニアン玉砕。

○ 8月沖縄よりの疎開船対馬丸、米潜水艦の攻撃で学童700人を含む1500人が死亡。

○ 10月レイテ沖海戦で海軍神風特攻隊出撃。この戦いで日本の海軍兵力は事実上消滅。以降、海軍では体当たり攻撃が唯一の戦法となった。陸軍でも同じころ特攻隊が編成された。特攻戦死、陸海合わせて3500人。戦艦武蔵沈没。レイテ戦終焉。

○ 20年、軍部が絶対国防圏としていたマリアナ諸島が敵の手に落ち、日本本土に対する空襲が激化。2/10日、B29・120機関東空襲。16日、艦載機890機関東空襲。19日、B29・152機による東京市街空襲。25日、231機による東京市街空襲。

○ 3/10日、B29・334機が東京を夜間空襲。焼失家屋27万戸、死傷者124700人、罹災者100万人。

○ 20年8月6日に広島に、9日に長崎に原子爆弾が投下。同日午前会議で天皇ポツダム宣言受諾を決済。8/15日終戦。

○ 8/29復員。二度と帰る事はないと思っていた小櫃村に再び戻り、開墾と山林労務者で糊口を凌く。自分の生き方が分からず、思想的にも混乱していた時代であった。

参考資料
●ラジャータド、ノンチェックさんの手記「日本人よ、ありがとう」
  イギリスの植民地支配からの脱却
  中国系住民の英軍協力と抗日ゲリラ
  マレー人とインド人の日本軍協力
  ハリマオ こと日本人「谷 豊」の活躍。

●斉藤 健著「転落の歴史に何を見るか」奉天会戦からノモンハン

●深田祐介「アジア開放の側面を持つ」サンケイ正論10/24より

●渡部昇一「昭和史」日本が日本の立場で発する歴史認識。

●講談社「昭和史辞典」



三木会員
:小生3人の子供があります。この度3人目も配偶者を向かえ、とりあえずホッとしております。よろしくお願いいたします。ちなみに結婚式の日は2/26で、不思議な気がします。

赤星会員:ドンピタ今日が誕生日です! 一歳成長したものです。ご指導下さい。

山田会員:@ 蔵内さん、すてきなディナーショーをありがとう。
        A 娘が結婚しましたので。

川内会員:一番下っ端の私としましては、わかぁーい人がい〜ぱい入ってきて、嬉しい限りです。ウッシシ。

会長・幹事:@ 檜垣さん、長岡さん、山本さん、ご入会歓迎いたします。
        A プログラム委員長さんには城山三郎先生ご招請ご苦労様でした。

小倉会員:IMの際、千葉の方々とお話をさせていただいたことと、例会をお休みしたことが重なり、勇気を出して千葉南RC例会場へお邪魔しました。また伺いたいと思います。浮気をお許しください。

檜垣会員:この度は入会させていただき、ありがとうございます。ご指導くださいますように。

綾部会員3/1は63回目の誕生日でした。大東亜戦争と同じ歳を数えました。プログラム委員長として、あと3ヶ月です。よろしくお願い申し上げます。

夏井会員:つたない話を聞いていただき、ありがとうございます。

前々回出席率 73.6%

本日出席   43

本日欠席   13

本日出席率  76.8%

   市原RC会長 始関信夫