お互いの生活の交流を図って参りますと、自然体の中からボケの程度がだんだんと良い状態になってくる。人間というものは、対等な心の交流が非常に大事なんでありまして、ロータリーの親睦論と云うものもその点に着眼したものでございます。平等社会意識,平等と言うのは皆一緒に扱うという意味ではなくて、同じジャンルgenreの人を、同じジャンルの人として交流の場を設営して、そこで食事をする、お茶を飲む、話をする機会を作る、こういうやり方を取ることが人間の進歩にとって、非常に大事な事だと云うことなんであります。ロータリーの親睦論は、対等社会における人々の、異なったアイデアの交流を保証するということで、この考え方で地域社会の二一ドneedに合わせて行動を起こすと、これは社会奉仕になるし、また国と国との間では国際社会が出来て、それに物理的な技術の進歩が伴いまして、大変効率が良くなるのでございます。奉仕の実践論の中では、社会奉仕にしろ、国際奉仕、職業奉仕でも、常に親睦論が根底にありまして、親睦論の骨格をなすものは、定款細則論であります。倫理的に見ると親睦、法律的に見ると定款細則と、こうなるわけであります。しかし「定款細則に従って」と申しましても、定款細則は親睦論をもって、温かい心をもった解釈でなければならない。これが中核部分で、これを社会奉仕、国際奉仕と外に向かって広げて行くextendすると言う、そういうものの考え方であります。人間はやはりグループをもって集まりますから、その時に一番小さな単位は血族即ち血の通った人達の小さなサークルcircleは家庭family、個人生活personal lifeであります。それから近隣社会local communityがあります。其の次に出てくるのが、国家という物凄い行政権をもったcommunityが出て参ります。これを作ったのは国民ですから、故に国民国家と申します。Nationa1、natio、ナティオと云うのはラテン語で国民の事です。そして国家の機能はと申しますと |
言い出したのが、14世紀リチャード二世で、イギリスは、国家の法律をもって「私闘の禁止の原則」を制定しました。対立が無制限な形で世の中に跋扈いたしますると、社会の秩序が乱れて、小さな戦争状態になります。このような事態が起きたときに、それを裁ける者は、高度な専門知識をもった人でなければならない。この専門家のことを裁判官と申します。.だから裁判所の判決によって決めなさいと言うのです。こうして国家は秩序維持を致します。 第二に国は |