芝はこのチャンスを捉え、米国大使サイラズ・ウーズ大使を訪ね、単刀直入に三笠保存の話は出さず、日本の三大恩人=開国の恩人ペリー提督、タウゼント・ハリス領事・ポーツマス会議のルーズベルト大統領の話をしながら、四人目の恩人は三笠保存に協力してくれるウーズ大使だと待ちかけた。その結果、ウーズ大使はアメリカの大統領を始め国務長官、海軍専門委員、議員の有カ者に打電し『三笠保存』の運動は日本としてはやれないから、外部から協カしてほしいと依頼しました。数カ月後ウーズ大使に寄せられた返信は、愛国の熱血漢芝氏の努力に敬意を表したもので、米国の世論は保存でまとまり、次いで英、仏、伊などの諸国に対しても、東京の関係大使を通じて了解もとれて『三笠保存』は世界的な世論となり、財団法人三笠保存会が大正14年9月1日発足、東郷平八郎元師が名誉会長に就任しました。翌大正15年、全長132メートル、幅23メートル排水量1万514トンの三笠は改装を終え、横須賀白浜海岸に固定されたのであります。 1945年8月15日、三笠も敗戦を迎えました。人々に忘れられた旗艦三笠を見た英国人の投書がきっかけで、1958年、再び三笠保存会が発足、六十年安保の翌年『三笠』は見事に復元されて、白浜海岸にその雄姿を再び見せてくれたので御座います。頼まれたことに合点が行くと骨身を厭わない行動力に、ロータリアン・スピリットの一面を感ずるものであります。どうぞ皆様もロータリー・ライフをお楽しみ戴き、このような魅力ある人間になられますよう祈念致すもので御座います。本日は誠に有り難う御座いました。 7.委員会報告
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8.結婚・誕生祝い
9.ニコニコボックス *本日はありませんでした。 10.出席報告
11.点鐘 川島 智 会長 |
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