2005年11月9日
第2049回例会
SAA(司会) 宇都宮会員
会報担当  川内会員

例会場 ℡ 0436-23-1211 〒290-0026 千葉県市原市五井5584-1五井GH
事務局 ℡ 0436-40-8900 〒290-0062 千葉県市原市八幡1073
        Mail Address:info@ichihara-rc.com
      会長  加藤 利夫     副会長  津留 起夫
      幹事  千葉 精春      副幹事  西村 美和子


  市原RC会長 加藤利夫
            
  奉仕の理想

  日本経済新聞社・東京支社 内田様

  市原RC会長 加藤利夫

 皆様こんにちは。本日は日本経済新聞社東京支社の内田様をお招きして卓話を戴きたいと思います。
長く時間を取るために会長挨拶は短く終わらせていただきます。

  市原RC幹事 千葉精春

1. 12月プログラムについて(別紙参照)
2. 地区大会について~奮っての参加をお願い致します。(11/20(日)交通規制あり)
3.アメリカ南西部のハリケーン(カトリーナ)被害への義援金の協力に感謝します。
  地区に振込みました。

4.市原市立京葉小学校「南極教室」スケジュール
  日 時~平成17年12月6日(火)午後1時~午後3時30分
  場 所~市原市立京葉小学校 体育館
  内 容~    
13:00~開催の経緯ならびに当日の進行の説明
13:10~(主催者挨拶)市原ロータリー・クラブ会長 加藤利夫/市原市立京葉小学校校長
13:25~映画「南極のうた詩」
14:00~スライド
14:20~休 憩
14:30~南極昭和基地とのテレビ会議
15:20~閉 会
主 催   市原ロータリー・クラブ(国際ロータリー第2790地区)
後 援    市原市教育委員会
協 力   国立極地研究所

1.ペタリングジャヤの名簿が、一部届きましたので、掲載します。
  (訪問予定学生) ←ここをクリック

2.12月のプログラムが、出来上がりました。ここをクリック!

<日本経済新聞社>~内田様

市原ロータリークラブの皆様、本日は、お招き頂きまして、ありがとうございます。今日は、画家・香月泰男について、お話させて頂きたく存じます。日記風になりますが、順を追っての話となります。
1942年[昭和17年] 31才
1月:17日祖父・春齢死去(90才) 
3月:第17回国画会に「水鏡」「釣り床」=50号を出品。うち「釣り床」は前年の文展に出して落選したものである。 
7月:松田正平らと共に、広島第五師団発案のビルマ方面への従軍画家派遣決定の通知をうけ待機命令が出る。 
10月:第5回文展に「水鏡」=50号を出品して入選する。 
12月:30日、教育召集令状を受ける。 

1943年[昭和18年] 32才 
1月9日山口西部第4部隊(山口市)に入隊。丙種合格者としては初の入隊であった。第1機関銃隊に配属される。 
3月: 美術学校時代の恩師・藤島武二死去。 
4月: 家族に指示して、第18回国画会に「帰途」「砂上」=50号を出品する。 
6日:本召集に切り替えられたのちに下関を出発。朝鮮半島を通過して、22日満州国(現中国東北地区)興安北省 ハイラル市に到着。第19野戦貨物廠営繕係に配属される。この時から家族に淡彩スケッチ入りの便りが送られ、以後敗戦に至るまでの約2年3ケ月ほどの間に、その数は350通を越している。これらの軍事郵便はすべて夫人によって到着順に番号を付して保存され、うち351通が1971年 「海拉爾通信」として新潮社から上梓された。 
5月:福島繁太郎から国画会出品画の感想とともに激励の手紙が届く。この頃から軍務の合間に油絵を描き始める。 
9月:この頃より、時々家族に水彩絵の具や油絵の具を送るよう依頼する。 
10月:第6回文展に「波紋」=50号が留守家族の手によって出品された。キャンバス裏の墨書によって同年1月入隊前に準備していたことが分かる。 

1944年[昭和19年] 33才 
1月:上等兵になる。 
2月:ハイラル市内の土木会社総務部長で福岡県出身の香月友数を知り、同姓のよしみから休日などにその自宅を訪ねたり、画材その他の送り先に使わせてもらう。 福島繁太郎から前年12月求龍堂より刊行された自著「印象派時代」が送られる。飼っている鷹の絵を描く。 
4月:下旬頃か、梅原龍三郎より画集が送られる。 
9月:国内のすべての美術団体展が公募を中止する。 
11月:文部省戦時特別美術展(情報局・陸海軍省協賛)に「ホロンパイル」=15号を出品する。この画は麻布を使った手製のキャンバスに描かれ、知人に託して福島繁太郎に送り、そこから出品されたものである。なお、この年の文展は出品者を撰考した上、無鑑査で陳列された。 

1945年[昭和20年] 34才 
3月:留守家族は、叔父・香月益雄の勧めにより下関を引き払い、一端、三隅町浅田の香月益雄宅に疎開した後、久原の家に移る。 
6月:このころ、第3方面軍司令部のチチハルから奉天(現・潘陽)移動に伴って、ハイラル第19野戦貨物廠の一部も移動することになり、その一員として吉林省鄭家屯に移動する。 
8月8日:ソ連対日宣戦。 14日:ソ連軍満州侵攻にともない奉天に移動。 15日:さらに朝鮮に移動すべく南下中に、日本の全面降伏を知る。17日:鮮満国境・安東まで後退して、同地にて武装解除を受ける。 
9月20日:奉天集結を命じられて北上。30日:部隊の再編成が行われ、冬服の支給をうけたうえ貨車に乗せられ移動を開始する。 
10月:ソ満国境黒河にてアムール河をわたり、ソ連領に入ったのち西行する。 
11月23日:クラスノヤルスク地区セーヤの収容所に入り、持ち物検査にて絵の具箱を没収される。火力発電所のための森林伐採作業に従事するも、環境の変化、極寒、あるいは過酷な作業や食料の欠乏などによって30人ほどが死亡。 

1946年[昭和21年] 35才 
1月:職業の申告により画家であることがわかって絵の具箱が返され、軍医の妻の肖像画をはじめ色々な画の注文を受ける。 
2月10日:母・八千代、津和野の橋本家で死去。 
5月:セーヤから一人だけ山を一つ越えたコモナールの収容所に移される。絵を描かせられるためであったが、結局は絵の具もなく、2~3枚ほど描いたのみで薪炭用の森林伐採に従事する。移動命令が出て、さらに奥のチェルノゴルスクの第一収容所にはいり、倉庫や新収容所の建設などの作業に従事する。 

1947年[昭和22年] 36才 
4月:給水作業の途中、ソ連軍の運転手から帰国の貨車が着いていることを知らされ、翌日所持品の検査をうけ、夜になって貨車に乗り込む。 
5月:15日ほどかけて東行してナホトカに到着。旧海軍のテントで抑留最後の15日間を過ごす。20日:引き揚げ船・恵山丸に乗船。21日、舞鶴に到着。3日間を検疫、帰国手続きに費やし、京都、厚狭を経て24日、三隅町の生家に着く。小郡で津和野に帰る戦友に母宛ての手紙を託すが、厚狭で乗り換えた美祢線の車中で叔父(母の弟)に会い、母の死を知る。31日付けで下関高等女学校に復職。夏休み明けの2学期から、学校の宿直室に寝泊まりして教壇に立つ。 
10月:後にシベリヤ・シリーズ第一作となる「雨・牛」=50号を制作・完成する。

1953年[昭和28年] 42才   
1月:第5回潮会展(日動画廊)に「あんず」「尾花」=10号を出品。 
3月:三枝会展(サエグサ画廊)に「いちぢく=4号を出品。 下関市長府博物館開館20周年記念第1回特別展-香月泰男絵画・陶画観賞展。これははじめての回顧展であった。兎(1939年)=40号;水鏡(1942年);波紋(1943年);雨(1947年);埋葬(1948年);昼;(1949年);草上(1950年)=50号;など油絵30点のほか陶画・淡彩素描各15点。 
4月:大阪フォルム画廊開設。フォルム画廊個展。籠とつわぶき;子供の椅子=20号;円卓の白木蓮;トマトのある赤壺;籠の中のとうもろこし;黒い机の上の鰊=15号;つわぶき=12号;桐の実と蕾;焼き魚と卵;椅子の上の海芋=10号。第27回国画会展に「散歩」「休憩」=50号を出品。 
5月:第2回日本国際美術展に「ペンキ職人」「電車の中の手」=50号を出品。 
6月:香月泰男デッサン展を大阪阪急百貨店で開催。 
10月:第3回型生派展に「目白」「ハムとトマト」「とうもろこし」=15号を出品。 
11月:秋季国画会展に「焼かれる魚肉」=12号を出品する。 
    
1954年[昭和29年] 43才   
1月:長門市深川中学校校章の原画を依頼されて制作する。第6回潮会展(日動画廊)に「馬鈴薯」「切られた魚」=10号を出品。 
4月:フォルム画廊個展。縄椅子の雉子;羊歯の上の山鳥;尾花=20号;仕事場の隅;黒い魚とパレット;武具;えい魚=15号;彼岸花=12号;尾花;円卓の上のつわぶき;縄椅子のつわぶき;雉子=10号;三匹のにしん=6号。第28回国画会展に「牡牛」「盥舟」=50号を出品。同地方展に「えい魚」=15号を出品する。 
文芸春秋社「文学界」の表紙原画を依頼される(4~12月号)。 
5月:第1回毎日現代日本美術展に「青年」=80号「鳩と青年」=50号を出品する。 
8月:水彩と素描展(国立近代美術館)に「じゃがいも」「尾花」を出品する。 
10月:第4回型生派展に「キャベツと無果花」「帽子の中の向日葵」「椅子の上の桜桃」=15号を出品する。 
香月泰男油彩展をサエグサ画廊で開催す。水鏡(1942年);波紋(1943年);埋葬(1948年);朝(1949年)=50号;兎(1939年)=40号;棚と壺(1939年);尾花(1940年);石(1940年)=20号;洗馬(1942年);ホロンパイル(1944年);洗濯(1947年);馬(1948年)=15号の他新作数点。 
11月:国画会秋季展に「月の出」=6号を出品。油絵4人展=麻生三郎 香月泰男 森芳雄山口薫=(サエグサ画廊)に「とまと」=10号;「袋のアメ菓子」=6号;「レモン」=4号を出品。 
12月:フォルム個展。(油絵)雷雲=6号;栗=4号;(水彩)黒鯛;柿;柘榴;鰈;籠の中のトマト;帽子の中のジャガイモ;さくらんぼ;(陶画)魚紋壺;家鴨円皿=陶兵衛窯;コスモス角皿;いんげん豆角皿=泥華窯;綿羊円皿;ひらめ円皿;露草円皿;どくだみ円皿;葱角皿;いぎの葉=大眉窯。 

1955年[昭和30年] 44才 
1月:第7回潮展(日動画廊)に「手提げの上の柿」=10号を出品。 
3月:旧松方コレクション収蔵の国立美術舘(現国立西洋美術舘)建設協賛展に「スイートピー」=6号を出品。 
4月:フィルム画廊個展。椅子の上の山鳥;ゼラニュームの鉢=20号;柿と素描;素描と壺;黒壺と水仙=15号;葱とレモンと卵=12号;釣り下げた玉葱;壁;帽子の中の卵;土間の山鳥;籠の中のキャベツと無花果;キャベツと無花果;帽子の中の薯=10号;尾花の山=6号;少女=3号。第29回国画会に「遊泳」「山羊」=50号 同地方展に「壁」=20号を出品。 
5月:第3回毎日日本国際美術展に「新聞」「二人」=50号を出品。初の地方での個展を,岡山・天満屋で開催。4月個展作品の他、三匹のにしん(1954年);椅子の上の彼岸花(1953年)=6号;桜桃;葉付き杏桃;月と雲;水仙;なずな;ひまわり (1954年);白木蓮蕾(1953年);カニ(1952年)=4号;他に水彩画。 
6月:香月泰男展(小倉マヤ画廊) 4月個展作品。 
10月:香月泰男画伯近作(下関市立長府博物館;下関公民館)。 二人;山羊=50号;えい=10号;柿;ひまわり=10号など油絵42点 水彩素描21点。第5回型生派展に「茄子」「鳥籠」「蝸牛」=15号を出品。 
12月:第1回伍伸会展(サエグサ画廊)に「私のパレット」=6号;「蝸牛」=4号;「のいばら」=3号を出品。この年から色彩は次第に少なくなり、後半には方解未を使い出している。また画商画廊の企画展への招待出品も多くなる。 

1956年[昭和31年] 45才 
1月:日本美術家連盟基金として初めて石版画「猫柳」を制作する(女屋勘左衛門刷り5版4色)。 
2月:三枝会展(サエグサ画廊)に「レモン」=8号を出品。 
4月:フォルム画廊個展。フライパンの玉子=20号;机の上;ヒユーザンス;糸巻き・鋏・眼鏡;雪山=15号;運動場の木;山羊;校庭=12号;雪;鰈;露草;白百合=10号;火箸;鰻=6号。 この内「ヒユーザンス」=15号がオーストラリア・メルボルン近代美術館によって買い上げられる。第30回国画会展に「路傍」「砂上」=50号を出品。同時開催の国画会30周年記念展(上野・松坂屋)に「棚と壺(1939年)」=20号を出品。 
5月:第2回日本現代美術展に「左官」=50号を出品。これは後にシベリヤ・シリーズに入れられる。 
6月:香月泰男個展(大阪・フジカワ画廊)。鳥籠(1955年)=15号;ぶどう=4号;レモン=3号その他。 
7月:薔薇会(ヤナセ画廊)に「霞草」「苺」=6号を出品。 
10月29日:AIR FRANCEにて渡欧。カンヌ、ニース、エクス・アン・プロヴァンスなどを巡る。この第1回渡欧は福島繁太郎の熱心な勧めによるものであり、遅れてパリについた福島に伴われ、梅原夫妻などと共にニースのピカソのアトリエを訪ねている。 
11月:伍伸会展(サエグサ画廊)に「どくだみ」=4号を出品。 

1957年[昭和32年] 46才 
1月:マドリッド、トレド、セルビア、マラ方、グラナダ、ヴァレンシア、バルセロナなどを巡る。美術学校同期の日本画家・高山辰雄との二人展をヤナセ画廊にて開催。油彩=鷹=10号;柵=8号;階段;火箸=6号;馬鈴薯;とまと=4号;水彩=カニ;柳花;杏桃;玉子。日本洋画商協同組合創立20周年記念1957年展に「帳面」=10号;「鷹」=6号を出品。これらはすべて欧州へ出発する前に準備されたものである。 
2月:童林社展に「カニ(1956年)」;「葱と薯」「鰈」(1954年)=4号を出品。ジェノヴァ、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、シェナ、ヴェネツィア、ミラノからスイスにはいり、ベルン、チューリッヒなどを経てパリに戻る。そして帰国のため25日にベルギーのアントワープに入る。サンパウロ・ビエンナーレ国内展示展が国立近代美術館で開かれ、「鳩と青年(1954年)」「新聞(1955年)」「路傍(1956年)」=50号を出品。 
3月10日:大阪商船の貨客船ロンドン丸に乗船。大西洋、パナマ運河、ロサンジェルス、太平洋を経て帰途につく。 
4月16日:油彩80点・水彩500点を携えて横浜港に着く。第31回国画会展に滞欧作品「シヤルトル大寺院」「アパートの中」=10号;「寺院の敷石」「シエナ」=8号と水彩画5展を展示する。半年間の遍歴は、出発前から展開を見せていた方解末と黒を基調としたマチェールについての自信を深めることになった。 
5月:第4回日本国際美術展に滞欧作品「太陽」=10号を出品。第2回淡彩デッサン展(サエグサ画廊)に滞欧。作品「パリーのガード下」を出品。 
6月:香月春男滞欧作品展(フォルム画廊の後、大阪、下関、博多を巡回)シエナ;サン・シャベル;トレド=8号;ノートルダム;ボン・ロワイヤル;エツフェル塔;サントアンジェロ城;ヴェネツィア=6号;ノートルダム;ノートルダムのステンドグラス;マドリッド=4号;ラスパイュ通り;モンパルナス通り;ヴァヴアン;ローマの壁城;シヤルトルのステンドグラス;パシィフィック・オーシヤン=3号など24点。 
7月:毎日新聞社主催現代日本美術10年の傑作展に「カニ(1951年)」=15号を出品。 
9月:第4回サンパウロ・ビエンナーレ(サンパウロ近代美術館)に出品。2月の国内展示展と同一作品。 
10月:国画会秋季展に「広場」=8号を出品 
11月:第3回五伸会展(サエグサ画廊)に「列」「広場」=8号;「鷹」「鯰」「幼梟」=6号を出品。明日の画家達展(フォルム画廊)に「球遊び」「桃陽」「広場」=8号;「筍」「ふくろう」(共に6号)を出品。第3回インド国際美術展に「埋葬(1948年)」「散歩(1953年)」「牡午(1958年)」=50号を出品。 
12月:香月泰男・森芳雄・山口薫三人展(大阪フォルム画廊)に出品。



始関会員:本日、佐藤勇会員から「恕」(じょ)と言う素晴らしい色紙を頂戴しました。
           たぶん前年度の慰労の意があってと思います。書の意をよく理解し、
      恥じないよう心がけなたいと思います。

川内会員:先日は、SKバスの御利用有難う御座いました。余談ですが、11月は
           結婚祝いですが、毎年のように11月に夫婦喧嘩が勃発します。ご多分に
      漏れず「演歌の花道」ならぬ「ケンカの花道」を歩いております。

前々回確定 80%
本日出席者 40名
本日欠席者 10名
本日出席率 80%

     加藤利夫会長