2005年4月27日
第2023回例会
SAA(司会)  赤星会員
会報担当  羽良会員

例会場&事務局  〒299-01千葉県市原市姉崎584
 п@0436-61-2245 Mail Address:info@ichihara-rc.com
 会長  始関 信夫      副会長  加藤 利夫
  幹事  角谷 修     副幹事  千葉 精春

  市原RC会長 始関信夫

   それでこそロータリー

 
作家 佐江衆一様(本日の卓話者)

牧野幸代様(2006/07G事務所事務局員予定)
 

 市原RC会長 始関信夫
本日のお客様は作家の佐江衆一様です。遠路お越し下さいまして感謝申しあげます。後ほど「98日間世界一周の旅」と題しまして卓話を頂く予定になっております。
もう一人のお客様はガバナーノミニー事務所で協力予定の牧野幸代
様がお見えです。クラブ例会の様子を見学に見えました。ごゆっくりお過ごし下さい。

報告事項
1 さる5月24日千葉県剣道連盟主催の「演武大会」が開催されました。その際、市原ロータリークラブが感謝状を授与されました。

2 会報委員会よりご案内のありました会員名簿作成のための資料提出が半分にも満たない状況です。ご協力を重ねてお願いいたします。

 市原RC 角谷幹事

1.  例会変更 
  *千葉幕張RC 5/24例会場変更。千葉市美術館・市民ギャラリーにて。
  *千葉幕張RC 6/28例会 ホテル・マンハッタン pm6:00.

2.  松本徽章工業よりパンフレットが来ておりますので、ご配布しました。ロータリー100周年記念メタルの発売についてです。

3.  5月に開催されますインターアクト指導者講習会に、当クラブからは次年度IA委員長であります伊藤会員に出席いただきます。

4. 野の花の家より、夏季合宿のためにバス提供の要請が来ております。何がしかのご寄付をお願いいたします。

 

加藤(利)次期会長

皆さんのメールボックスに2005/06年度の地区予算書をお配りしました。疑問点等がありましたら、私までお申し出ください。5/8の地区協議会にて私より地区に質問いたします。
例年と大きく変わった点は、4(3)世界平和奨学生支援金@15円の新設ですが、これは従来地区内の数クラブが行っていた奉仕活動を次年度より地区で行おうというものです。

藤谷前幹事

前年度の活動報告書を、本日ご配布いたしました。ご一読ください

卓話者紹介 山崎会員

3週ここへ立ちます。老境に入ってからお友達になった佐江衆一先生に図々しくも何やかやとお願いしております。前のシャツのボタンが取れてしまいまして、家をでるときは付いていたのですが途中で取れてしまいました。ゴメンナサイ。千葉県経営者協会でもお話をいただいたり、皆さんのお目に止まっているでしょうが日本経済新聞の文化壇にはかなりの数を執筆なさっておりまして、わたしはそれを読ませていただいて、佐江先生にお近づきを頂きました。先生のプロフイールをご紹介致しますと作家でありまして、作品につきましては、つい近々では「黄落」という小説を書かれまし。介護の問題で鮎川欣也、市原悦子、その他が12チャンネルで先々月に放映を致しまして、主演は小林圭樹が年を取ったおじいさん役です。先生の黄落という小説も、お父さんお母さんを介護なさったことがベースになっております。

それがフランスエッセイストに贈られるドーマゴ文化賞など数々の賞をいただき、また新潮社でしょうか、文芸春秋でしょうか「江戸職人綺譚」の小説もお書きになっております。それから先般城山三郎先生がお見えになったんですが、城山三郎先生とはファミリー同士でお付き合いがおありになるということで頼んで下さいました。

先生は剣道につきましては連枝でしようか? 範士でしょうか、かなり高段の格でございます。それから今日伺った事ですが、奥様が幕張のご出身とは前から聞いていたのですが、当クラブガバナーノミニーの白鳥さんと千葉高同級生で旧姓「あづま」さんです。齋藤パストガバナーの後輩にもなります。色々申し上げましたが、今日はテーマが「98日間世界一周の旅」。ピースボードにお乗りになったということですが、皆さん楽しみに伺いましょう。先生よろしくお願い致します。

佐江衆一様


演題
“98日世界一周の旅について”

山崎さんとは急速にお近づきになり、今日お招きにいただきありがとうございます。何せ98日聞のことを今から1時間でお話するという事で、この1時間で世界一周は出来ないですけれど、まとめて面白いところだけをお話しようと思います。
昨年70歳になりまして、これまでも大体私は50歳過ぎてから5年ごとに何か新しい事をやることにしています。仕事の方も50歳過ぎてから現代小説から時代小説に挑戦してみたりして、新しい小説を書き始めることをやったんですけれど、その仕事以外にも趣味の面で何か新しいものをやろうということで、先ほどご紹介頂いた剣道も55歳から始めたんです。こちらは市原の剣道連盟の方に聞けばおそらく55歳から始めて六段というのは全国的に剣道史上珍しいのではないでしようか、と言われました。お蔭様でその前は古式武道を45歳のときから始めて、50歳からは世界に木を植える運動をやって、55歳で剣道始めて、60歳からはまた新しいことやったりして、65歳からは英会話を始めたんです。これは頭がかなり固くなっているんで、これまで世界旅行をやっていい加減な英会話を使っていたんですネぇ。ニュージランドとかカナダ、最後はアメリカの有名なペンシルペニヤ大学で2週間ですけれど講習受けたりして、まあまあ今では、何とか外国人の前で笑いながら話が、ようやく出来るようになりました。昨年70歳になったら前やっていたゴルフを再開しようかと思ったけれど、これはもう少し年をとっても出来るのではと思って、取り合えず世界一周を考えました。これは若い時からの夢だったんですネ。おそらく皆さんもまだおやりになってない方が多いのではないでしょうか? 何れ時間があったら、皆さんはお金はあるでしょうけれど、時間がないんだと思うんですが、いかがでしょうか。私も若いときから是非1回は世界一周をやってみたい。お金もないし時問もないが、どうにかそれぐらいのお金は最近できてきたけれど時間がやっぱりネ・・・3ケ月以上日本を留守にして仕事をやらないと小説家も忘れられちゃいますし・・・仕事もこなくなっちゃうし、3ケ月間遊んでばかりいると飯も食えないということでかなり決心がいりました。でもこれはやって見ようと思ってやったのが、今日お話する世界一周なんです。正確には地球一周です。

コ一スは東京港を出て神戸港によって台湾の基隆(キールン)によって、南シナ海を南下してベトナムのベトナム戦争で激戦地だったダナンに入港し、その後は南に下がってシンガポールに入港し、海賊で有名なマラッカ海峡、そしてこの間の地震、津波で被害を受けたスリランカ、それからインド洋を横断して、これは長かった一週間でしたが、インド洋から紅海に入ります。スエズ運河に行くわけですけれど、その紅海のところに小さな国でエリトリアがあるんですネ。エチオピアの隣です。小さな国で貧しい国ですが、そこによってそれから紅海を上がってスエズ運河を通って地中海に出る。地中海に出て丁度去年のアデネオリンピックの日だったものですから、アテネに着くのが開会式の当日という、うまい具合にその様なスケジュールが組まれておりまして、ポートサイドより観覧して、地中海を横断して、アテネに入ってお陰さんで柔ちゃんが金メダル、野村が金メダル、卓球の愛ちゃんの決勝戦をみて地中海を西に向かって、マヒィヤで有名なタンジール、ジプラルタル海峡、地中海から大西洋に抜けます。スペインとモロツコの間を通ってモロツコによってタンジールによって大酉洋に出て大西洋を北へ北へと上がって英国はロンドン港に、ドーバー海峡をさらに上がってこんどはノルウエー、北海のフィヨルドを船で観光、さらに北に行って北極圏に入ります。3366分から北極圏なんです。そこを入りますと小さな島に、「ここから北極圏ですヨ」というかなり大きな地球儀が置いてあります。そこを見てまた戻って、また西に進み、テロ事件など色々あります北アイルランドに入ります。

アイルランドは独立しましたけれど、北アイルランドは未だに英国に帰属することに賛成する人と、そうではなくて、アイルランドみたいに独立しようとする人たちが亀甲してまして、いまだに驚いた事にpeace wallという名前なんですけれども、ベルリンの壁があるんです。コミュニケーションがとれず、宗教問題も絡み、うまくいかないようです。そこによって、それからいよいよ大西洋をニューヨークに向かいます。私の乗ったトパーズ号31,500トン。日本丸とか、飛鳥丸より少し大きいです。今は世界で一番大きいのは15万トンで、長崎で造船して火事を出した船ですが、今は竣工しているクイーンメリー2世号が世界最大船です。クルージングは現代の流行ですから7万トンクラスから8万トンクラスの豪華客船がたくさんあります。有名なタイタニック号は、46,500トンで、当時としては物凄く大きいです。そしてあの事故が起きるタイタニックを造船したのが、この北アイルランドのベルファストという造船所です。その造船所を見てきましたけれど、そこで造船して処女航海ですからサウサンプトンから大西洋を横断して北の方へ上がっていって北極海に入り、流氷に衝突して処女航海で、あのようなことになってしまったのです。ほぼそれと同じようなルートでベルファストからニューヨークに向かいました。

ここでは荒れました。疲れました。アイルランドの移民たちは、永い間皆ニューヨークに入国を目指していました。「海上のピアニスト」The legend of1900という有名な映画がありますが、あの映画は丁度アイルランドからニューヨークへの豪華客船で航海するのですから、アイルランドの船は多いんですネ。

新大陸を目指していった、そのコースを我々も通ったわけですけれど、やはりニューヨークには皆さんたいていの方はいらしゃってると思いますが、ほとんどの方が飛行機でして、船で行った方はおそらく少ないのではないでしょうか。私は初めての航海で、ベルファストから一週間かかりましたが海は大変荒れました。荒れたと言えばですネ、インド洋も荒れました。出かけたのが714日東京港出航、翌日神戸港出航ですからちょっと早いけれど、そろそろ台風のシーズンになっているから、うっかりすると南シナ海・東シナ海辺りで台風と遭遇し、最初にゲェゲェしちゃうのではないかと、思っていたのですがそれはなかったです。でもやっぱり船の旅で一番心配なのは船酔いなんですネ。映画のイメージですと、船の中でダンスパーティがあったりして、船の旅というと非常に優雅な感じがします。もちろん我が船もダンスパーティがあります。食事の時も、船長主催の晩餐会とか、何だかんだといって、要するにフォーマルスタイル的な蝶ネクタイとか、絡好つけて着物きてとか、私も着物が多かったのですが。けれど、そういう反面、一方では船は荒れたらひどいものです。弱い人は、食堂に出てこない。今日は食堂に来る人が少ないなあ…と思ったら、皆部屋で顔を青くして寝ているのです。これはしょうがないですネ。私は割と船のほうは強いほうだったから、弱い人より食堂へ行く機会が多かったようです。食堂が2つありまして、大きなメイン食堂とヨットクラブという洒落た食堂がありまして、その洒落た食堂で朝食を食べていましたら、隣に来た男がですね、スキンヘットで背が高く、刺青を武ったりしていて、胸毛が茫々出ていて、夏ですから半軸着ていて、ピアスはピカピカピカピカ光っていますし、How are youてなもんでやったんですけれど、そいつがギリシャ人の絵描きで、29歳でした。話をしてみますと彼はアテネオリンピックに向けて、長崎と広島の平和の火を持っていくという、平和のキャンペーンをやっていまして、それを各港、今までお話した通りの港、港で、ピースセレモニーをやって、皆さんと交流してはまた次へと、ピースアンバサダー・・・平和大使・・・をしているのです。その男と歩いているギリシャ人女性2人がアテネから日本にきてこの船へ乗っていました。聞いてみたらそういう男だっていうことがわかりました。その程度のことで、最初は気にしなかったのです。私は東京港を出航してから、98日間どうやって体を鈍さないようにしようかと思い、ひとつは剣道の竹刀を持っていって、毎朝300回の素振りをやるようにしていました。300回やったらかなり強くなります。それからもうひとつは、僕は古武道をやってまして、古武道で護身術を人に教えられます。師範なんですけれど、その空手着みたいなものに、黒帯を締めていました。そしたら皆さん素振りやっている甲板で、朝は太極拳とラジオ体操から始まるのですが、あの人は何をやっているのだろう・・・ということで皆さん見ているのです。日本人はあまり珍しくはないんですがね。

外国人は特に、船中に英語の学校がありまして、10万円払うんですけれど、毎日英語の勉強ができるのです。クラスは色々あるんですけれど、その為に外国人の先生が50人位います。その他に途中からも乗ってくる外国人もいます。それから船の従業員(クルー)は全員英語です。日本人従業員は一人も乗っていないのです。

このトパーズ号という船はギリシャの船ですが船籍はパナマです。船はボロボロでして、この船を最初に東京まで見に行ったとき、いやぁ・・・汚いなぁ・・・という印象でした。その前にかみさんと2人で乗ったカリプ海クルーズが78,000トンの良い船だったものですから、こんな船にお金払って乗るのかと思って、説明会が東京であったときに、手を上げて聞いたのです。「すみませんけれどこの船かなり骨董品の様に見えますけれど、一体何年の建造ですか?「1950年代の建造ですから、ハイー・50歳になります」見るとあちこちボコボコはがれてたりしているのです。「この船は特別ですから、人間で言うと100歳にあたります」と言われて、やんなっちゃいました。それでもいい所もいっぱいあるのです。古い船ほどスタイルが低いのです。今の船はご承知のようにホテル見たいに豪華で背が高いですから、重心も高いのです。その点トパーズ号は古い船ですから、なんとも見た目が悪いですが安定しているのです。それに蒸気エンジンなのです。「ジィーゼルエンジンではないのですか」と聞きなおしたのですが、「いやぁ・・・これがいいんです。世界で動いている船で、いわゆる蒸気船が動いているのはこれしかない」というのです。それほどエンジンがいいんだそうで、50年間使い続けて大丈夫という、心臓の強い船だから心配ありませんということなのです。

「もしご心配ならお乗りにならなくても宜しいのではないでしょうか」と言われて、ヤバイと思って、“なーに俺だって乗って見るよ”と乗ったんですけれど、そういう船でも色々な談話室、英語の教室もあればダンスをやるような立派な所も有るんです。けれど、そこに皆さんが出てこないんです。いや、こられないんです。揺れたら、本当に、凄いのです。私の部屋なんかオンボロ部屋ですからミシミシガタガタで、出られないのですよ。階段なんか手摺りにつかまっていないと、船が揺れると落ちてしまうのです。それから船酔いしない様に、凄く冷房をきかしているのです。暖かいと揺れてダメになります。冷房が古くこつこつして寝られないので、寝るときは消すのですが、古いから天井のファンを手で廻さないと消えないのです。皆それをやった見たいで、ひっくり返って腰を痛めていたようです。私は平気だったのです。なぜかというと先ほどお話したギリシャ人のスキンヘツドの男が、剣道を是非教えてくれということで、教えていたからです。そいつが宮本武臓を知ってると言うのです。I red five rings “五輪書を読んでいるのか・・・お前凄いな・・・”
I know HAGAKURE. 「葉隠れを知っているのか。よし俺が武士道を教えてやろう」
武士道の本を読ましたりして、愛弟子になって、熱心に毎朝練習を重ねたのです。これを見ているひとがいっぱい来て、後に外国人8人の弟子ができました。きれいな女性も3人いました。生きがいが出来まして朝6時前ごろ生徒の来るのを待っているのです。そういうことが出来たものですから、揺れていても平気なんです。ところが彼はアテネで降りてしまいまして、アテネでは彼の家まで行ってフィアンセを紹介してくれて、お父さんにも会え、ご馳走になったりしたのですが、彼と別れたらなんかつまんなくなってしまいました。あんないい男と男同士別れて淋しい。向こうもそうだったようで、お互い淋しくなるよって抱き合って言っていたのですけど、ぼんやりしてしまい、ジプラルタル海峡あたりではもうやる気もなくなって、剣道・御身術も休み、デッキチェアーでビールばかり飲んでいました。皆がきて、私は小説家としてはあまり知られておりませんで、武道家として先生、先生と言われるようになっていましたが、先生何か最近気だるそうですね。コンスターチノ、コンちゃんがアテネでおりたから寂しいのでしょう、なんて言われていました。

乗客は結構若い人と中年が少ないのです。何しろ98日間の時間の取れる人でないと乗れないからです。学生だと無理なのは夏休みを利用したとしても、授業を休まないといけません。フリーター、あるいは若い人でも、今の仕事が面自くないから、いったん辞めて、これをやってからまた新しい仕事をやろう、とかという人たちに限ります。真ん中(働き盛り)がいないのです。朝は皆さん早いです。私も割りと早く起きます。素振りをやった後に食堂へ行くと、もう老人会ですよ。爺さん、ばあさんばかりです。若い人は夜遅くまで遊んでいるから、朝遅いから出てこないのです。ですからなるべく朝飯は遅く行って、女の子たちと食べるようにしていました。
中には色々な人が乗っていまして、私は女の人とテーブルに着いて自然に話をするわけですけれど、仕事だから人に声をかけたら、老人クラブに入る練習でこれに乗りました、という人もいました。

男たちで、私たちの年齢で定年後の一人旅で乗っている人、定年後ご夫婦で乗っている人、色々です。一人で乗っている人は、なんか寂しそうに海を見ていたりして、隣に座って、どちらからですかと話になるんですが、何人かのひとが実は女房を○○年前に亡くしまして、1人でいましたので息子たちが、「お父さんこれで憂さを晴らしなよ」「お金あるんだから行きなよ」なんて息子夫婦に勧められて乗った、などと涙流して話をされたりしました。私は一人で乗ってましたから、「失礼ですがお一人でお乗りになって、奥様は・・・」なんて聞かれたりもしましたが、「私は女房元気なんです」と答えていました。人生色々で面白いですね。男でも女でも1人で乗ると、かみさんが亡くなって1人で乗る人と、そうでなくて健在なんだけれど互いに1人で乗るという人と、ご夫婦で乗っている人。ご夫婦で乗っている人なんか途中から話がないですね。風と同じで、黙ってもそもそしているようです。最初12週間はシンガポール位まで我慢しているんだけれど、それ以後になると奥さんのほうが、詰まんなくなって、「あれ、ご主人どうしたんですか?」と聞くと、「もう会うのもいやだからネ、疲れて仕様がない(ケンカ?)」等色々です。ばらばらでして、夫婦でケンカした人もいるようです。

僕は夫婦で乗らなくて良かったと思います。僕も最初はどうしようかなと思ったけれど、1人で乗ることにしました。折角70歳の記念だから3ケ月独身生活したいとおもったのです。これは公に出来ますから、かみさんも喜んでくれて、うちの場合はちょっと変っているかみさんでして、私も3ケ月以上独身生活できて楽しい。山が好き、キャンプ好き、友達呼んでドンチャン騒ぎするからいってらっしゃいよ、ということになったのです。そういう家庭も結構いて、男がかみさんに行って来いと言ったり、ここはポイントだと思いますが、ご夫婦で乗るのもいいんだけれど、あるいは友達同士で乗るのもいいんだけれど3ケ月は長いです。よっぽどなかの良い友達でも、しょっちゅう顔を合わせているとケンカになるのです。私もあまりお金を出したくないから相部屋だったんですけれど、神戸から乗った人と二人一部屋になって、お互いに最初は遠慮がちでしたが、日が経つにつれて、そのうち、コノヤローと怒鳴りつけたこともありました。そうかといって個室も、世界中の大きな船に比べるとこの船は安いんですが、それでも2部屋で窓があって、2階のいい部屋だと、500万一600万してしまう。私みたいに安い旅行だと2人部屋で、4人部屋を2人で使うというやり方でして、窓が有ると高くなってしまいます。ベットも4人部屋で4人で使うともっと安いのです。バス付とか、色々な指定でお金が高くなります。いらっしゃる時は色々と考えて選ばれると良いでしょう。何しろ3ケ月間ですから。

中には地方政治家の人で愛人といっしょという人も何組かいました。人間模様が色々判ってくるのです。ケンカなどをした時に、ペロとしゃべたりして分かるのです。これは、小説に書けるのではと思える小説のネタがたくさんあるのです。

今ひとつは人が死ぬのですね。最初は台湾の基隆(キールン)でピーコピーコ鳴ったんです。救急車が来て誰かが下ろされたのです。後で聞いたら副船長が突然死なんです。その前の日にパーティーがあって、その副船長は50歳前の人でしたが、ギリシャに帰ったら別の船の船長になりますとニコニコ笑って挨拶していた、その人なんです。だからアテネまで副船長なしで走ったわけです。その後、広いホールがあるんですが、あるとき全員集合させられました。話が前後しますけれど、アテネオリンピックがあり、ニュー・ヨークではグランドゼロで、同時多発テロから丁度3年後の911日に入港することになっていました。そういうことがあって満室だったのです。1000人ちょっとが定員なんですけれど、ほとんど定員ぎりぎりの乗客がいたんですね。それが半分は若い人、真ん中がなくて、半分が爺さんばあさんの感じで、青年の船と老人の船という感じの船で、全員が集められたのです。15号か16号の台風で広島あたりに大きな被害がありましたが、そのような二ュ一スは常時入るんです。広島の人なんですが家が倒壊し、宮島厳島神社に被害があったということで、その近所の方ですが、途中でお帰りになった方もいました。なんか日本であったのではないか、などと話していたのですが、乗客の1人が急に亡くなられまして、その方は75歳の女性の方でして、バンクーバーで家族が引き取るために迎えに来ていたようでした。その後に話が出たから聴いたらば、この船は棺を3個積んでいるとのことでした。大体一航海に3人は亡くなる予定のようです。それからもうひとつは、950人の村が移動しているようなものですから、船の中にあの人が居ないね、という話が出まして、35000トンの船ですから23日は会えない時もあるのですけれども、それでもそのうちに噂で、船長命令により強制下船させられたらしいというのです。そういえばあの人はちょっと酒癖が悪かったからねとか、ウエイトレスにコップの水を引っ掛けたとか、やれけんかになって殴ったとかということが有ったらしく、船長命令で強制下船させられたのです。そういう話を聞くと、怖いですね。どこかで軟禁されていたらしいのですが、船の上では総てが船長でして、天皇陛下みたいなものですから、船長が仕切る訳です。港について何かあれば、その国の警察が乗船してきますが、船内の最高責任者は船長だから、船長がこいつダメだといえば船長命令で下船させられるのです。僕は覚えてないけれど、そういう誓約書みたいなものが乗船前に書くようで、途中で消えている人が何人かいるのです。船が50歳ですから色々な歴史があり、これまでに殺人事件も起きているとのことです。

また恋が芽生えて結婚式もあったし、いろんなことがあって、私は船長から色々聞いたのですが、これは小説が書ける、推理小説も掛ける。そんな小説は世界に無いし、50年の歴史を持った船を題材に書いたら、これは面白い長編が書けると思いました。それから人が死ぬときは満月の晩が多いようで、ちょっと一杯飲んで、波が穏やかで、大西洋とか、地中海もそうだけれど、じい一と見て、隣にきれいな女でもいたら、一緒に飛び込みたいと不思議な気持ちが沸いてくるんですね。クルーに聴いたら月のいい晩に人が死んだことは度々あったとのことで、そのときはどうするのと聞いたら、3時間探して見つからなければ行ってしまうのだそうです。ミスティリヤスのストーリーが色々あるのですね。

もう一つ大事なのは、皆さんがもし参加されるなら、わりとどの船もそうですけれど、各港での滞在時間が少ないと感じることで、朝早く入港する船とか、夜遅く出港するとかしなければ、3ケ月で世界一周はできないのです。この船は蒸気船ですから、かなり遅くて、最高時速18ノットということは時速35k位ですから、時速15kぐらいのスピードで世界一周したわけでして、僕が一生懸命自転車で走っている位で、世界を廻ったわけです。今の船は20ノット以上出ますので、もうちょっと早く廻れるかもしれませんが、やっぱり船足の速い船を選んだ方がいいと思います。
もうひとつは港、港でどういう旅行をするかです。私の揚合はわりと一人で世界旅行をしてますから、観光地は行こうと思えば、外のツアーで安く行けるでしょうから、ピースボートでなければ行けない様な所、例えば、ベトナムだったら村の家にホースティするとか、むこうの人と一緒に木を植えるとか、マングロープの木を植えるとか、難民キャンプを訪問するとか、いわゆる、普通の旅行会社でやる旅行ではない旅行が出来たということが感動でした。

例えばスリランカでも、村に泊まりましたけれど、ここは電気も水道も、もちろんない貧しい村でした。でも皆さんお陰で村の人たちが出迎えてくれて、御祭りみたいに歓迎してくれて、僕が泊まった家は、土と草屋根の45畳一間位だったのですが、若夫婦の家でしたけれども赤ちゃんがいて、ベットがひとつ、それを私に使わしてくれました。ベットといっても竹のベットで、赤ちゃんと夫婦2人はとなりの床に寝ていました。暑いんです。それから窓なんかないんです。壁に穴があいているだけで、風がびゆ一んびゆ一ん入るのですが、涼しくていいな、と思って寝たら、そのうちに風が強くなってきまして、その家族は英語が出来ないので困っていたのです。そのうちに奥さんが旦那さんに何かを言って、布切れを張ってくれました。顔を洗うのもバケツ1杯の水で顔洗うとか、そういう生活です。ほんとにシンプルライブですね。内戦が3年前まであったんです。今回の旅行で世界の貧しさを痛烈に感じました。電気の無い生活をしている人が世界の70%ですから、それが当たりまえなのですね。紅海に面しているエリトリアなどは、小さな国でしてエチオピアに侵略され、ようやく独立して3年なんです。ですから貧しくて何もないのです。アメリカ2世の日本人とその仲間何人かが、マングローブの植林をやり、それを切って薪として燃料にする。家畜を100頭飼うことにより少しでも生活を豊かにしようとしていました。それに感動して、一日50℃の暑さの中で、私も汗だくになりマングローブの木を植えたり、雑草を取ったりしましたけど、一日ではなく、数日いたい、耐えられるかどうか分かりませんが、と思いました。

いよいよニューヨークに着きました。摩天楼が見えてきて自由の女神を見ながらの入国は感動的でした。911日のグランドゼロは、未だに何も出来ていない、大きな高い金綱が張ってあるだけです。
丁度その3年後でしたから皆集まって来て、花束とか、そこは日本の人たちと違うところですが、思い思いに追悼の儀式をやっているのです。それも一日中やっていますね。大窓な追憶の紙を出したり、演説をする人は演説、私が一番感動したのは、犠牲者の人達のプロフィールを並んで、読み上げる。あれも大変ですよ、一人づつ読み上げているのです。感動しました。夜はメッツの野球観戦、ハーレムへ言ってジャズを聴いたりしました。アメリカという国は面白い国ですね。ブッシュを味噌くそにする人が一緒になって、あれだけの矛盾を抱えながら、それでも自由を愛しているのですね。不思議な国です。

その後、私の場合は今回の旅行でもうひとつ是非行きたいと思ったのがガラパコスアイランドです。前からいきたいと思っていたんですが、ご承知のダーウインの自然の進化論のヒントとなった大きな陸亀Giant turtle、イグアナ、等の動物園みたいなところで、なかなか行けないところです。自然環境の保護ということもあって、予約年間6万人で制限しています。日本からのガラパコスツァーなどまずやってない。何とかして行きたいと思っていたので、今回はガラパコスツァーがオプションで入っていたので、40万円でしたけれど行きました。それはニューヨークから飛行機で南米エクワドルへ飛び、そこから1000k西の太平洋にあります。ですから行きにくいですが、日本からいくには南米に行ってから、諸島の中にある小さな飛行揚へ降りねばなりません。自然環境保護のため港を作っていないのです。ガラパゴス諾島では飛行場からクルーズにのってアイランドへ渡り、かつお鳥とか、イグアナとか、軍艦鳥(frigate bird)を見るのです。丁度私がいった時期は9月でして、軍艦鳥の繁殖期にあたっていたものですから、皆大変なんですよ。男女の行為も凄いんだけれど、まず雌にもてようとする男どものまあ・・悲しい、つらい、もう一生懸命アピ一ルしているんだけれど、女は横を向いているのです。真っ黒い体に、男はカーテンのような真っ赤な袋を持っていまして、口いっぱい膨らませるんです。破裂するのではないかと思う程、見せるんですけれど、女共は知らぬ存ぜぬで、あんなに一生懸命やってて、それでようやくつがいになれる事になり、あっという間に性行為が終わちゃって、そんなことが、まさにそこで見られるのです。鰹烏はboobyと言いますが、ゴルフのブービー賞の語源でして、ちょっと馬鹿な所があるんです。子供のほうに餌をあげるのですが、軍艦鳥が皆横取りしてしまうのです。かわいそうに・・・だからブービーっていうらしいです。ほんとに僕らが傍にいても逃げません。子錦くらいの大きな陸亀も生息しています。

私の今回の旅行としての、目玉はガラパゴス諸島でした。その間船を離脱してましたから、船はニューヨークからカリプ海を通って、コロンビアに行ってました。そこへ合流して、コロンビアでは過っての奴隷たち、スペインに統治されていた時分に、逃亡した奴厳たちが作ったペレンケの村というところがあるのですが、そこに立ち寄ってきました。そこで食事を食べましたけれど、御承知のように一昨年、コロンビアは日本の商社の役員の人が麻薬団に誘拐されて、殺されちゃつた怖い所で、今でもその危険防止処置がかかせません。だから僕らのすぐ傍に武装警官が付いてくる。じゃないと危ないし、中には一人、私の知っている人で、いなくなっちゃって、後で聞いたら気がついたら胴をひっくり返して全部捕られていたとのことでウエストバックは着けないようにしてください。ウエストバックは捕ってくださいといわないばかりですから、あれはダメです。あれは皆、狙われます。あれ着けているひとは丁度鴨がねぎ背負って下りてくるみたいなものです。そういうのは割と日本人はダメなんですねえ。そういう危険なところが南米エクアドルです。

グァテマラ、これもなかなか行けないところです。中南米中、最大のスラムでして、凄い所です。子供達は同じように、着飾ってみたりしているのですが。その後、ようやく太平洋に出て、パナマ運河です。皆様も是非越えて頂きたいと思うんですけれど、閘門式の運河です。スエズの場合はご承知のように地中海と紅海の水面が同じなんです。パナマ運河は真ん中に湖があって、そこを通って行くということなんですけれど、そのために階段式に船が入ると門が閉まって、水を入れて船が出る。次に行くとまたゲートが閉まって水を上げる。船がだんだん、だんだん、と上がっていって真ん中の湖の高さまでいって、その湖を越えて今度向こうを行く時は、また同様に下がって行くのです。通行料は1人1万円で、この船で1千万円です。パナマは運河の通行料で成り立っているので、大きな財産になるわけです。7万トン以上の船は入れません。通過できる船の幅と長さが範囲内でないとダメなんです。入れない船はマゼラン海峡を迂回せねばなりません。

今回私は若いころやって見たいと思っていた、スエズ運河を通って地中海へ、それからカリブ海大西洋側へ、中南米のパナマ運河を通って太平洋へ出るという、この夢も実現出来ました。その後、まだバンクーバーに寄るんですが、ほぼ2ケ月以上来たわけですけれど、グァテマラを出てパンクーバーヘの一週間に何をしようかと思って考えました。そして映画を創ろうと思い立ちました。船内新聞にそのことを書いて皆さんに知らせたのです。我々みたいな年配の元警視庁殺人課の刑事がかみさんを亡くして、ひとりこの船に乗っているという設定でストーリーを考えました。私が監督をやって私が主演、脚本です。皆に呼びかけたら、やろう!やろう!ということになりました。カメラマンに一人プロがいまして、グァテマラを出てから撮影を初めました。「ミステリー・オンザボート」という英語のタイトルで創りました。今日、お見せできないのが残念です。実は、編集するのが大変なんです。今はパソコンで編集するのですが、そうした作業を知っている青年がおりましたので、手助けをしてくれました。

いよいよバンクーバーへ向けて太平洋を北上しはじめたのですが、大変な時化に会い、船は一生懸命に走っているのですが、1メーターも進まないのです。最後はカムチャッカによってから帰る予定だったのですが、太平洋は凄いですよ。小山のような波なんです。また全員が集められて船長から話がありました。皆さんのこれ以上の安全を保障できませんから、カムチャッカは諦めていただいて、今日から皆さんのご了承得て、24時間南にまっすぐ下がり、北緯40度の線まで行ったら、日本に向けて真っすぐ西に向います。それでご了承いただきたい、ということになりました。それで結局は最後のカムチャッカに寄れなかったんです。でもそのころは皆船酔いに慣れてきてますから平気なんですけれど、私は何かムカムカしてしまいまして、それでも映画の徹夜の仕事が有りましたから編集をし、それから映画を皆に見せようと思って上映会を催しました。もうひとつは英語のスピーチコンテストがあって、応募していたものですから、原稿を考えて覚えなくてはいけないわけです。
太平洋は16日間ですよ。バンクーバーから飛行機なら8時間ちょっとです。それを毎日、来る日も来る日も荒れた海で16日間です。Pacific Oceanとは、穏やかな海という意味ですが、それはマゼランが太平洋を横断するときに風も波もなかったもので、帆船が動かずに付けられたネーミングですが、太平洋ほど荒れる海はないのだそうです。

船上生活の鍵は、船の上の生活をどう楽しむかです。色々な催し物が毎日あります。ですから新しく社交ダンスを覚えるとか、あるいは何かを自分でやってもいいんですね。呼びかけて皆を集めて、自主企画の催しものを行うのも良いでしょう。毎日のんびりしてもよいし、マージャンばかりやっている人も居るようでしたが。それぞれの楽しみ方があります。何もやらないで3ケ月以上98日間、一人の時間を持つということは、普通ではできませんからね。
私は70歳でしたから70年間の人生を回顧し、これまでの事を考え、これからどう生きようか、色んなことを考える時間が持てました。是非皆様もお時間をお作りになって、一生に一度はお試しください。まあ元気な内におやりになったほうがよいのではないでしょうか。

Q:山崎会員

音楽を聴きながら過ごしたということですが、ご子息さんが作曲した、音楽を聴きながら過ごしたのでしょうか? どのような心境で御座いましたでしょうか?

A:佐江さん

お話するのを忘れてしまいましたが、息子は作曲家なんです。僕の息子について、宣伝してしまいますと、ぼくの息子は「かつぬま ゆい」と申しまして、この62日に東京のオペラシティホールで奔放初演のオペラ交響楽団が来て、それに数々の演奏をしています。私が70歳の大台に乗るので、子供たちが色々のプレゼントをくれたのですが、その息子はとっさんに、私はとっさんと呼ばれているのですが、船の上で聞くための作曲をしてくれました。『午後の航海』というタイトルですけれど、作曲してビアノを弾いて、彼自らがテープに入れてくれたんです。それをイヤホーンで聴いておりました。もしクラシックにご興味のある方は、622日シティホールへ来ていただければありがたいです。





津留会員:
4/22常泉会員の紹介で県立長生高校にて社会奉仕の機会を得ました。ありがとうございました。

川島会員:友人の娘がガバナー事務所でお世話になります。よろしくお願いします。川島のおじちゃんより。

川内会員:一昨日、やっと厄抜けして44歳になりました。とんでもない3年でした。これから厄年を迎える皆様(少ないと思いますが)おとなしくしておきましょう。

前々回出席率 78.6%

本日出席   44

本日欠席   12

本日出席率  78.6%

   市原RC会長 始関信夫