2004年10月27日
第1999回例会
SAA(司会) 鶴岡会員
会報担当  羽良会員

例会場&事務局  〒299-01千葉県市原市姉崎584
 п@0436-61-2245  Mail Address:info@ichihara-rc.com
 会長  始関 信夫      副会長  加藤 利夫

  
幹事  角谷 修     副幹事  千葉 精春



    市原RC 始関会長

  それでこそロータリー

  なし


 会長 始関 信夫
 今年は自然災害にみまわれる事が非常に多く、この席で罹災された方々にお見舞いを申しあげる機会が度々でございます。今回の新潟中越地震についての義援金のことが先日社会奉仕委員長の藤谷会員から発案がありました。皆さんのご協力をお願いいたします。 報告に入りますが、過日10月22日に千葉南RCより「他クラブに学べ」という方針のもと当クラブに依頼がありました。そこで、当クラブを代表して上條会員に講演をお願いたし、私も同行して参りました。テーマは「経費をどこで割くか 浮いたお金をどこで使うか」というテーマで話されました。今年は地区でもIT委員会を創設し、先日の情報委員会でも取り上げられ、本格的にITに取り組むとの事でありました。そのような時のタイミングでしたので、皆さんには大変好評でございました。当市原クラブの良いPRになりました。上條会員にはお骨折り下さいましたことに感謝いたします。
 もう一点は、地区大会へ多くの会員が登録され、感謝申しあげます。その際、先輩会員の方から次のようなご指摘を頂きましたので発表いたします。
常々クラブ予算の現状について申しあげ、ご協力を頂いておりますが、地区大会に参加の申し込みをすると、クラブの負担が増えることになるのではと心配する会員もあるのではないかとの、ご指摘でございました。私の言葉足らずで、皆さんにいろいろご心配をお掛けする結果になりましたが、活発なクラブ活動のためには十分予算化してございますので、参加のご希望がありましたなら、私か角谷幹事まで申しつけ下さいますようお願いいたします。  以上報告を終わります。



   角谷 幹事

* 10/25に第3分区Bのガバナー補佐を訪ねて、2/9開催のIMについての打合せをさせていただきました。会長、幹事、藤谷、加藤(庄)会員に出席頂き、ありがとうございました。
* 大網RCから常泉会員の卓話について礼状が参りまた。
* 次回の例会11/10は2000例会ですが、クラブフォーラムを行います。卓話者として酒枝、上條、千葉会員にお話をいただき、その後に自由闊達な質疑応答を行いたいと思っています。そのために例会開催を12:00とさせていただきます。
* 例会変更:千葉若潮RC、11/25を11/21pm10:00に変更。 千葉東RC、11/1を11/2に変更。



深川IA委員長
* 10/15にIA合同会議がありました。今年のIA年次大会の反省が行われましたが、結果としてホストした京葉高校インターアクトクラブはプロジェクターを使った参加校の紹介もあって、大変解りやすく興味ある運営をしてくれたということで、大変好評でした。私自身はスムースな会の進行ができなかったことを反省しております。
* 9/17〜20韓国訪問の報告が行われました。楽しく有意義な内容だったとの報告です。
* 11/20,21に予定されている国際ロータリー地区大会の登録料ですが、会員7,000円、夫人5,000円、晩餐会13,000円となっております。来月10日に私が集金しますので、よろしくお願いします。

藤谷社会奉仕委員長
新潟中越地震の見舞金を集めたく、次回の第2000回記念例会で御奉仕をお願いしたいと思っています。よろしくお願いします。

山田国際奉仕委員長
* 短期交換学生選抜の件ですが、10/24に試験がありました。長期交換学生2名が出ていました。短期交換学生は市原RC推薦の吉田夏子さんは優秀の方で、トップ合格間違いなしと思っています。来年6月終わりから7月に掛けて、カナダかアメリカに行かれることになると思います。
* 19次WCSワールドコミュニケーションサービスの地域視察旅行の案内が来ております。興味のある方は私までお申し出ください。




       吉田茂雄会員

こんにちは。日頃は大変お世話になっております。平成14年8月、川島年度に入会させて頂き、加藤年度を経て3年目の始関年度に入り早いもので2年4ヶ月が経過致しました。恐れ多くも出席委員長を仰せつかっておりますが、ロータリーとは何ぞやとなると、いまだ何も分からないと言ったのが正直な感想です。そんな折に綾部プログラム委員長より卓話をするように依頼された訳ですが、如何せん皆様の前でお話するような話題も無く、非常に困った次第です。建設業の事に関して15分も20分もの間、お話するような知識も無く、趣味と言えばゴルフぐらいでこれも長い時間お話するには難しいなと感じました。入会卓話を遣らせて頂いたのが丁度2年前の10月16日、第1900回の時、三平さんとご一緒でした。この時も何をお話ししようか迷いましたが、自分の生い立ちから今日までの事で、その時の会報綴りには概略が書かれて居りますが、2年前の事ですので、自分もその時の原稿を見るまでは、どんな内容を話したかはハッキリ覚えておらず、それであれば殆どの方は(ちょっと失礼ですが)多分記憶に無いと思われますので、これを幸いとし二度目になってしまいますが、幾つか経験したアルバイトのことについてお話致したいと思います。
話の前にお願いがあります。30分位話さなければ成らないのでしょうが内容はありませんし、飽きてしまうと思います。時間より早く終わりそうですので、皆さんよりニコニコを沢山出して頂き、時間を繋いで頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。

先日企業先のゴルフコンペのときに木更津高専の一年生がキャディのアルバイトでしたが、一生懸命遣っていましたし、なかなか爽やかな・好青年でした。学生時代にアルバイトの経験をお持ちの方は多いと思います。今では、その気になればコンビニ・キャディ等いくらでもアルバイト先がありますが、我々が高校生の頃まわりには余り無かったように思います。昔のアルバイトは山田太郎の「新聞少年」という歌ではありませんが新聞配達が多かったのではないでしょうか。インターネットで調べましたらこの「新聞少年」という歌は昭和40年頃にヒットしてその頃は勤労少年のアイドルになったと書いてありましたが、私は昭和40年といえば中学1年生で、勤労少年という言葉は記憶にありません。フリーターという呼び方に比べ、時代の移り変わりを感じる次第です。私が最初に経験したアルバイトは、中学校の卒業式を終え高校入学までの、たしか二週間ぐらいでしたが近所のガソリンスタンドでお世話になりました。掃除、給油等が主でしたがタイヤのパンク修理でホイルからタイヤを外す方法等を教えて頂いたり、給油中に道路の反対側に住んでいた同級生の女子が気になり、ボートして給油口からガソリンが溢れ出した事もありしましたが、従業員の方からも面倒見てもらい、楽しみながら良い経験が出来た次第です。

昭和43年に川崎市立工業高校土木課に入学し、勉強はともかく野球に明け暮れていたのは前回お話した通りです。自宅は川崎大師から15分程の所で高校までは京浜急行の大師線と市営バスを乗り継いで40分ほど掛け通学していました。入学してから間もない6月に入ってからだったと思いますが、中学も同じだった先輩の3年生から頼まれまして、(実は私は一つ手前の駅を利用していたものですから、その先輩が川崎大師駅でアルバでトをしている事は知らなかったのですが)「俺に代わって川崎大師駅で切符切りのアルバイトを遣ってみないか」と言われました。仕事の内容は7時前から8時過ぎまで改札口に立ち、乗降客の切符切り、定期券の確認と言うものでした。京浜川崎駅の改札ではよく同じアルバイトを見かけてはいましが、チョット恥ずかしい気がしましたが引受けた次第です。6:50頃から8時過ぎまでの一時間ちょっとでしたが、たしか時給250円で1.5時間分を貰いました。一日やっても1,500円にならない相場でしたので其れに比べればかなりいい単価だったと思います。京浜急行の大師線は京浜川崎駅起点にする支線で、港町・鈴木町・川崎大師・東門前・産業道路・小島新田の6つの駅があり、その中でも大師様の門前にある川崎大師駅の乗降客が一番多かったと思います。この頃今と殆ど変わらない図体(身長はほぼ同じ、体重は20キロ軽かった)で改札口に立つのがはずかしくて、学生服姿はいいのですが駅員さんと同じ帽子を被るのが嫌でしょうがありませんでした。中学時代の友人は「何やってんだ、こんな所で」と言う感じですが、女子になりますと人の姿を見てニコニコ・クスクスという感じで通り過ぎて行くのが嫌でしたね。また、最初のうちは切符に挟みを入れるのが慣れないものですから改札口に客が渋滞すると言ってはオーバーですがそんな事もしばしばでした。段々慣れるに従い挟みを入れるのも、定期券の期限を確認するのも、また、たまには乗り越しを見破る?(捕まえる)と言った事も出来るようになって行きました。京浜急行は、品川から三浦半島方面を走る本線と何本かの支線がありまして、殆どの駅名ですとか、主要駅までの運賃も大体覚えたものです。ラッシュ時でしたので乗降客も殆ど同じ人が多いのですが中には定期券をポケットから出しもしない人・見せないように通る人様々な人がいるものですから、余り続くとわざと催促してみたりして、舐められないようにしたものです。新聞配達ほど早い時間ではありませんがやはり冬場は結構辛く、足元は練炭で暖かいのですが、上半身はかなり寒い状況でしたが、一月で7・8,000円は魅力でいい小遣いになり、部活後のラーメン代ですとかグローブ・スパイク等野球用品を揃えるのに結構役に立った次第です。

駅員は駅長さんをいれて3〜4人で早番・遅番(泊り)というんでしょうか交替でやられていたようです。駅長さんがいい人で、私から見ますと親父さんと言う感じでしたが、あの頃はまだ55歳定年でしょうから、としますと私も駅長さんと同じ位に成ったなという感じです。若い方の中には高校の先輩もいましたし、皆さんに良くしていただき3年生の7月まで二年間お世話になりました。今でもたまに駅前を通りますがその頃の事が昨日のように懐かしく思える次第です。

川崎市は競輪・競馬・そして、京浜コンビナートの企業からの税収入等で財政的には豊かだったと思います。高校は川崎市立でしたので近くにあった県立の工業高校よりは創立も新しい事もありましたが色々な面で設備が整っていたと思います。現在は平成5年に立て替えられ総合科学高校と名称を変え多摩川大橋の際に15階建ての立派な校舎になっています。ただ当時、部の予算は余り無かったようです。試合用ユニホームを新調したり、道具を揃えるのに夏休みの間(駅のバイトは休み)の何日か野球部全員交替で市の公園管理課のアルバイトで市の職員の方と一緒に草刈作業をやらせて頂き、色々道具を揃えた次第です。真夏に一日中練習しているよりよっぽど楽でした。

一番厳しい状況でのアルバイトは一日だけでしたが、友人と二人でどんな経緯でアルバ
イトを遣るようになったかは覚えていませんが、日本鋼管の工場内での作業でした。石炭のベルトコンベアーラインが幾つもありベルトコンベアーのジョイントから落ちた石炭の粉を掃除するのですが、野球のヘルメットでなく初めて作業用のヘルメットを被り、防塵めがねを掛け、タオルで顔を覆い、十分防護してやるわけですが、寝そべったりもするものですから、終わってみれば作業着は勿論目の周り、鼻の穴、耳の中等真っ黒で堪った物ではありませんでした。帰りに風呂に入れてくれましたが1,500円位も貰ったと思いますが、二度とやろうとは思いませんでした。大変な仕事もあるなぐらいの事は感じました。

3年生の夏休みも終わり、就職も西松に内定していたものですから、これと言ってやる事も無かったわけですが、就職してから運転免許を取るのは難しいと思い教習所に通う事を決めたのですが、先立つものがありません。親からも多少の援助は貰いましたが、またアルバイトで稼ごうと思い9月頃だったと思いますが友人と二人で、川崎大師駅の隣駅(鈴木町)に味の素の川崎工場(線路沿いの工場で、当時はエアコンが無く、暑いときは窓を開けて走ると異臭かひどかった)があり、そこで夕方6時からビル清掃のアルバイトを見つけました。確か6階建てだったと思いますが実験室、会議室、事務所等決められた部屋だけでしたがゴミ集め・掃き掃除・そして雑巾掛けを、終わり仕舞でしたがそれでも二時間位掛かりました。事務所には机が幾つかある中、女性が使っている机は特に念入りにやったものです。我々の受け持ち以外にも建物が幾つか有りパートタイマーのおばさんが15人位でやっていました。毎週ではありませんでしたが日曜日にはそのおばさん達とその娘さんもアルバイトに来るものですから、それもあって一緒に一日中働いた次第です。確か二月末まで半年くらいお世話になり、最後は社長さんから結構な食事をご馳走になりましたし、運転免許も無事に取得できた訳です。こうして色々なアルバイトで、お金を稼ぐ苦労を知りましたし、その場その時で親切にして頂き、そして何よりも多くの方に出会う等の経験が出来たことは、社会人になってか何らかの役に立っているのではないかと思う次第です。ちなみに金儲けは今でも大変苦労しています。

一千回台最後1999回例会の卓話としては、内容のないものになってしまいましたが、これで終わらせて頂きます。有難う御座いました。


会長・幹事:地区大会へ多くの方にご参加頂きまして感謝致しております。

川島会員:過日「和の世界と題して展示会を行いましたが、ロータリアンの皆さまに多数出席頂きました。また、加藤庄司さん、佐川さんには大変お世話になりました。

吉田会員:時間も短く、内容のない卓話で申し訳ございません。今後もよろしくお願いします。

佐藤(政)会員:自動車免許
更新57年目に突入、、自重して続けます。
千葉会員:先日の川島さん主催の「和の世界」に大阪出張のため、出席できませんでした。和の大好きな掛軸を見られず残念でした。ぜひまたの開催を期待しております。

川内会員:鉄砲を握ってわずか3回目にして、無謀にも射撃大会に出ました。結果は言わずと知れたブービーメーカーでした。諺「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」 あれはウソのようです。

上條会員:千葉南RCの卓話について始関会長に大変お誉めを頂きまして。(本人は穴があったら入りたいです)


前回確定   83.0%
本日出席者  37名
本日欠席者  10名
本日出席率  78.7%

 市原RC 始関会長 

[一口メモ]  (JRICメールより抜粋)

決議23-34が「ロータリー章典」から消えた

2001年のRI理事会で、板橋理事が奮闘され、2002年の「ロータリー章典」には、「決議23−34」も「「He profits most who serves best」も記載されていたことが、2003年のRI理事会で、変更されている!

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(決議23-34の全文)

Fundamentally, Rotary is a philosophy of life that undertakes to reconcile the ever present conflict between the desire to profit for one’s self and duty and consequent impulse to serve others. This philosophy is of service ? “Service Above Self”?and is based on the practical ethical principle that “He profits most who serves best.”

本来、ロータリーとは、自己のために益しようとする願望と他人に奉仕しなくてはならないとする義務意識との間に絶えず生じる葛藤を調和しようとする人生哲学のことである。この哲学こそ『Service Above Self』であり、『He Profits Most Who Service Best.』という実践倫理原則をその根底に置くものである。

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(以下、成川守彦@有田RCのメール報告より)

1)2002年2月の「ロータリー章典」には、「決議23−34」も「He profits mostwho serves best」も記載されている。
2)2003年10月の「ロータリー章典」では、「決議23−34」は全文「ロータリー章典」から消えている。(理事会による決定は、2003年5月)
3)2004年11月の「ロータリー章典」も同様。

この決定理由は、「2004年7月1日より、30年以上前の決定で、以後、改訂されていないものは、ロータリー章典から取り除く(rescend)ことができる。但し、理事会の具体的決定で公式に保持することが決まった場合は除く。」

決議23−34の最後の改定は66年ですので、この規定により削除されたものと考えられます。

田中理事のお話では「間もなく、10月−11月の理事会が開催されますので、シカゴに行って、よく調べて、『ロータリー章典』において、『決議23-34』が復帰するように努力します」ということです。