1.点 鐘 会長 川島 智
2.ソング 手に手つないで
3.お客様 井上象英 様
4.会長挨拶 会長 川島 智
「第二の戦後]

 真に不透明な時代である、最近、とみに思うのは日本人よ何処に行ったのか?という疑問である第一の戦後が仮に成功だったとして、今、目の前にある「第二の戦後」を考える時、先ず日本の歴史的精神的風土をもう一度思い起こす必要があるように思う。
 日本の歴史とは何か?私は日本人の宗教観とこの宗教観を生んだ農耕社会に原点があると思っている。西洋の合理主義は自然を克服し征服すべき対象と考えているが、日本人は人間を自然の一部と考え自然と融和し、自然を神様と思っている、従って一見なじんでいるようでどうしても無理がある。
 日本人は、祖先を祀る「日本の家は創立者1人を祀るのではなく先祖代々をを祀る」日本の農村は土地を祖先から受け継ぎ子孫に残すという発想がある。だからこそ、一生懸命山畑を開墾するのである。国際人とはアメリカ人とかヨーロッパ人と言う事ではない。日本人なら日本人の独特の顔と文化を持って初めて国際人であろうと考えます。

 本日は井上先生をお招きして、日本古来からの易学の延長線上で“観象学”日本の未来を含めて運命を占っていただきたいと思います。

5.幹事報告 幹事〜津留 起夫
(1)
市原ロータリークラブ
期日:平成15年3月26日(水)
理由:袖ヶ浦合同例会
場所:袖ヶ浦市民会館3F 点鐘18:00 
期日
:平成15年4月4日(金)
理由:移動例会
場所:勝浦・鵜原館

6.卓話〜日本の暦


井上 象英 様

 皆様、こんにちわ。本日はお招き頂き、有難う御座います。古来からの易学の延長線上では御座いますが、“観象学”について、日本の未来を含み、運命を占ってみたいと思います。同時に、日本の暦についても、お話させて頂きます。

 自然環境の変化から四季の循環を知る「自然暦」の時代を経て、日本の暦は、中国の暦法を導入することによって始まりました。推古十二年(604)の事で、中国では、天文術と陰陽五行説に基づく占いによって編暦が行われていました。わが国においても、中務省(なかつかさしょう)に陰陽寮が置かれ、後には安倍氏などの陰陽家によって編暦が行われた。
 その暦法は、月の朔望で月建てをし、太陽の運行で、一年を知る太陰太陽暦である。日付は、正確に月の位置を表すが、毎年の日付と季節がずれるので、春分、夏至などの二十四節気を定め、実際の季節を示す目安とした。しかも、2.3年毎に閏月を入れ、暦の面を天象に合わせる必要があった。2頁目>